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「今」をいきるということ  ー脱ステというこだわりを手放してー

大阪府 S.H(31歳)

*気がつけばいつも闘い*

生後間もなく、アトピー性皮膚炎と診断されたそうです。物心ついたときには常にかゆみと痛みの毎日でした。記憶の中で一番苦痛だったのは高校入学してすぐの頃、そして社会人3年目のころ。背中から首、そして一番辛い顔から、毎日吹き出る浸潤液。ガーゼを貼っては皮膚と一体化、そしてお風呂でほぐしながら剥がすということを1日3回、痛みで泣きながら繰り返す毎日でした。ステロイドへの抵抗が強かったこともあり、脱ステ治療の皮膚科で処方された、独特の匂いと色の塗り薬で寝具も服もその色と匂いに染まっていました。高校生の時は、まだ若かったことからか、波はあるものの、びっくりするくらいキレイな状態になることもありました。ただ社会人3年目の時は、出たこともない部分にまで症状が出始め、悪化しほぼ全身に。そして包帯人間の毎日。拘束具をつけて就寝しても毎朝、浸潤液まみれで体液の生臭さで目が覚め、そして着替えるにしても普通には脱げない。服のままお風呂に入り、皮膚と引っ付いた服をお湯でゆっくり剥がす。そんな朝を迎えることが怖くなった時、同時に夜眠ることも怖くなり不眠症にもなっていました。

 

*心もすり減る病気*

幼少期はまだ身体的に辛くても母や家族に頼れる部分に気持ちとしても安心感があり、子供の純粋さで、根本治癒するぞという気力も希望もありました。「いつかキレイになれば…!そのために今は辛抱しよう」と。

ただ、大人になるにつれて、何度も経験するリバウンドで、その度に、希望は打ち砕かれ、その度に立ち直り、また頑張って。”いつかの未来”の為にまた辛抱しよう…という日々を重ねるにつれ、「いつかっていつ?」「ほんとに来るの?」「そう思いたいだけで本当はもうこのままなのかな…」と刻々と感じる日々になっていました。何度も味わう絶望で心がすり減っていました。

テレビを見て笑うと顔がひび割れてしまう。テレビに映るキレイなお肌の女優さん…自分を鏡でみることが堪らなく嫌でした。そして窓を開けて、風が吹いても気持ちいいなんて微塵も感じることなくただひたすらに激痛…。そんな毎日は、どれだけ前向きに考えても、気力をだんだんと奪うには十分な状況でした。

終わりがいつなのかも分からない「今」が続くことが苦しく、希望も見出しにくい毎日は、生き地獄でした。

母や祖母は懸命にケアしてくれました。私の背中に薬を塗るとき、「ひどくなっていない?」と尋ねると「良くなってるよ」と言いながら、母が鼻をススる音が聞こえてくることは何度もありました。誰かのせいにできたり、家族に八つ当たりができたなら、きっと幾分、気持ちが少しは楽だったのかも知れないけど、母の鼻をススる音が頭を離れなかったのです。代われるものなら代わってあげたい…と、叶わない願いを抱えながら見守ることしかできない辛さも同時に、私は感じていました。それが頑張る理由にもなるときもあれば、負い目に感じてしまい、自分の存在自体を堪らなく心底、疎ましく思っていました。

家族がいたことは大きな支えであり感謝していましたが、正直、当時の私には「頑張れ」や「前向きに」といった類の励ましが、とても悲しい気持ちになったことを覚えています。

 

もちろん、そのような状態では働けず身の回り自分の世話すらままならないため、最も悪化した社会人4年目の時期はひとり暮らしの部屋をそのままにして、実家で1年近く闘病をするようになっていました。それでも、貯金を切り崩しながら、空家賃を支払い続けていたことは、私の意地でもあり最後の希望のようなものでした。

 

*心が「ポキッ」と折れる音*

 長い悪化時期を経て、改善へと好転しはじめ、長く真っ暗だったトンネルにやっと光が見えてきた矢先、理由なく大きくリバウンドしました。はじめて心がポキッと折れる音を聞きました。もうこの生き地獄(人生)を終わらせようとまで考えました。

生を受けてからそれまでずっと、アトピーを自己治癒力での根本治癒を目指していました。それは言いかえれば、自分の身体(人生)の中からアトピーを排除するということでした。

それがいつしか人生の目的となっていました。

ステロイドを使うことへの抵抗と恐怖は、人生をかけて必死で避けてきたこともあり、自分や家族の中では「ステロイドを使うか、死ぬか」という究極の選択肢しかなかったのです。

 

*自分を愛するということ*

 ある人の言葉で、呪いが解けました。

「アトピーであってもなくても、どんな状態でもあなたのことみんな大好き。だって笑顔が素敵だから。でも最近、笑顔を見ていない。そりゃ、辛いし心も身体も痛いから笑えんよね。今はまだ難しくても、あなたが未来で笑顔いっぱいなら、それでいいよ。

ただね、未来は今の積み重ねでしか辿り着けないものだと思うから、未来を笑顔で過ごす為には、今のあなたも笑顔じゃないと辿り着けない。だからほんの少しだけでいいから、今、一緒に笑って過ごす時間を増やそう。今のあなたが幸せと感じてもいいのだから」

 アトピーである自分を嫌い、憎み疎ましく思うことは、同時に持って生まれた自分の個性をそう思うのと同じことだったのだと気づきました。

こんなのは私じゃない。私はアトピーなんかじゃない。これまでの辛抱も、本来の自分を生きるために必要なプロセスであって、私はアトピーを排除しなければ幸せになっちゃいけない…と自分で呪いをかけていた事に気づきました。

これだけ頑張ってきた自分を、なにひとつ愛せていませんでした。

 気づきと同時に、「もう頑張れない。もう十分頑張った。もう自分を許してあげよう。もう頑張らなくていい。」「いつかのための毎日を終わらせて、今、幸せを心から感じよう」と思いました。

初めてアトピーの自分をありのままを認め、愛してあげられた瞬間だったかもしれません。

 「今」幸せになっても良いと自分に許可を出せたことで、アトピーを自分の個性として受け入れ、共に生きていく覚悟が整いました。

 

そんな私は、ステロイド治療を開始しました。とてつもなく怖かったです。これまで信じてきたこと全てを否定するような悔しい気持ちや、「無駄だったのかな…」と、やり場のない気持ちもたくさんありました。

それでも、味わいたかったんです。遊園地のジェットコースターで風を感じること、お風呂に入って気持ちいいと思うこと、怖がらずに眠れること、痛みや人の目を気にせず、思いっきりくしゃくしゃになって笑うこと。

 

*これからの在り方*

それ以降、リバウンドしていません。お肌の状態に合わせながら仲良くお付き合いできています。とても心地よく日常を過ごせています。日常がこんなにも心地よいこと、とても幸せです。

私はステロイドを使うことを決心したのではなく、「楽しむこと」「今の幸せ」の先送りを辞めたのだと思っています。

これからも自分の物語は続いていきます。この経験をどんな物語に紡いでいけるのか、まだまだこれからです。アトピーは辛いし、生まれ変わっても二度となりたくはないけれど、この人生じゃないと得られなかった価値のあるギフトがたくさんあったこともまた事実です。そのギフトが誰かの何かとして届けられるように紡いでいくことが、私の次の物語です。

雨の日もあれば晴れの日があるように、空はいつも変わらずそこにあることを忘れずに

できることを1つでも見つけて日々を過ごしたいと思います。

その1つにもなる、この体験記、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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