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アトピー性皮膚炎体験記:アトピー性皮膚炎であること

脱ステロイドにより皮膚が取れるという思いをし、それでも痒くて痒くて、掻いていると痒いところが逃げていく。ぐちゃぐちゃになるまで搔き壊した後、血だらけになり自己嫌悪に陥る日々。生まれてはじめて人間やめたいと思いました。

こんな思いをしたKKさんは現在の主治医と出会い、入院治療でまさに目からうろこの治療で症状が改善。今まで使えなかった普通の人と同じ柔軟剤やシャンプーも使えるようになり、ネイルも楽しんでいます。

長野県 KK(44才)

 

 生後6か月から病院通い

私を生む前、つわりが酷くてほとんど食べられなかったと聞いています。初めて皮膚科を受診したのが生後半年と母子手帳に記載がありました。ミルクで育ったのですがよく噴水のように吐いていたと母が言っていました。今なら食物アレルギーやアナフィラキシーだったと思いますが良く生きていたなというのが正直な感想です。小学校に上がるまで小児ぜんそくと気管支炎を患い、入学して間もなくアトピー発症、まさにお手本のようなアレルギーマーチですね。当時アレルギー体質やアトピー性皮膚炎って診断されていた子供って少なかったので情報もなく、出された薬を塗るかひどくなったらステロイドの注射をしていました。塗れば治るとも思っていたし、卵や牛乳の食物アレルギーもあった。給食で牛乳を止めていたら給食費から牛乳代を返金されたのを覚えている。昔は義務教育までインフルエンザの予防接種を学校で行っていたが、私は学校で一度たりとも予防接種を受けたことがない。ワクチンを卵の殻で培養するからという理由は、大人になってから知った。

学生時代の症状

小中高と首から下と関節の所が酷く、特に冬は指先があかぎれになり絆創膏を大量に消費していた。おばあさんのような手だった。

小さいとき覚えているのは通院と大量の薬を飲んだり塗ったり吸入したり注射した事だ。チューブの薬は商品名のタグが切られていたし、飲み薬は数字の羅列だけ、当時はそれが当たり前だったので疑問にも思わず、ひどくなったら病院に行くということを20歳過ぎるまで繰り返していました。すると皮膚がどんどん赤黒い肌になっていき、痒みも増していきました。半袖や白い服は着れなかった。

病院ジプシーのはじまり

両親も不憫に思ったのか、色んな大学病院や総合病院等‥皮膚科の有名なところを探しては連れて行ってくれました。初診で診察室に入り患部を見せなきゃいけないのですが、パンツ1丁になってと言われる事も多々ありました。10代のうら若き乙女だった私には、結構きつく、せめてタオルとかないんだとか薄っすら思っていた、女医さんも少なかったのを記憶している。試した治療は食事療法、減感作療法、強酸性水治療、イソジン治療、温泉療法など化粧水やビタミン剤など本当にきりがない。ジプシーといえるほど色んな病院に行きました。どこに行っても大量のチューブの薬が出され、「アトピー性皮膚炎だね、大人になったら治るよ」と言われ続けていました。18歳になったときに来年とか2年後にきれいになるわけがないと成人しても治らない事実に気が付いた訳です。

 病院への不信感

私にとって皮膚科は病気を治してくれる所ではないと段々思い始めてきました。状態の悪い時に診てほしいのに前日に炎症が落ち着いてしまったり、悪い時は悪い時でろくに眠れてないので医者の言うことが素直に聞けない、アトピーあるあるですが嫌な患者ですよね。生まれてから20年もたっているのに医学は進歩しているのにアトピーって治らないの?いまさらだが、アトピーってこういう病気だと説明を受けたことがなかった。「先生治りますか?」と質問して「治ります」と答えてくれた医者は一人もいなかった。

完治を目指したいのに病院行っても変えても塗っても良くならない薬や病院への不満が募って、とりあえず薬は何を出されているのかが気になった。ステロイドって何に効くのかふと疑問に思った。

 調べるという中毒性

 ある日、本屋で手に取った「医者からもらった薬がわかる本」辞書並みに分厚い本だ。

飲み薬の数字とメーカーで何の薬かわかる、チューブの薬もご丁寧にカラー写真付きで。

効能 皮膚の炎症を抑えます。うんわかるよずっと使ってきているんだからアトピー性皮膚炎、慢性皮膚疾患等の治療につかいます。

副作用 ここから驚きの連続で副作用って何よ!また効能よりも5倍ぐらいある行数で書いてある。じゃ何、私の肌が象みたいで赤黒いのは副作用なのかと勝手に勘違いした訳です。この調べるという行為、日本人の国民性にあっているのか、私にとっての知識欲なのかとにかく中毒性が高く、この頃夢中で本を読みあさってました。ただ良かった事が一つ、自分で使っていた薬が何か分かったからです。商品名ですね。タグが付いてなかったので今まで何の薬かわからなかった飲み薬はセレスタミンだったかレスタミンだったか忘れているんですけど、あとザジデン。塗り薬はダイアコート、デルモベート、リンデロンだったと思います。顔に塗っていたのがいわゆる最強ストロンゲストっていう部類で今じゃあり得ない薬を処方されていた。当時仕事もしていましたし、成人式までは使っていて意外と顔だけは症状落ち着いていました。首から下は酷かったです。一人で生活をしていた私にとっては、働かなければ生活できなかったし、症状酷くなると化粧で誤魔化す悪化するのスパイラルで3日程、薬塗るとまたすぐ酷くなるのを副作用だと思っていて少しの量を塗る仕事はやめられないので何とか耐えてました。

最終宣告

薬が終わって酷くなったら薬を貰いにいくの繰り返して段々スパンが短くなっていきました。ある日病院で「これ以上強い薬はないから」と言われてしまいました。もうこの頃には、病院には一切の期待をしていなかったので、ああもう私の皮膚はどうにもならないんだなと、自分で何とかしないといけないと思い薬をやめることを決心した。今だからわかるが、こういう薬の使い方をしていると本当に薬の効きが悪い、患部にだけちょっと付けてよく刷り込む、本当に悪い見本なので反面教師にしていただきたい。

脱ステロイド開始 地獄のはじまり

1か月休みを取らせてもらい、一切の薬を止めた。最初は顔が突っ張ってくる、口や目がきちんと開かなくなる乾燥が酷くなっていき、あくびをすると口角や頬が切れる。辛くてまさに地獄でした。みるみる見られない肌になっていき、特に顔が酷く眼もまともに開かない状態に、指の第一関節まで入ってしまうんじゃないかと思った恐怖、皮膚が取れると思いました。それでも痒くて痒くて、掻いていると痒いところが逃げていくんです。ぐちゃぐちゃになるまで搔き壊した後、血だらけになり自己嫌悪に陥る日々。生まれてはじめて人間やめたいと思いました。

カポジー水痘様発疹症

微熱が続いてだるいし、1か月の休みはとうに超えていて一つも症状が好転しない私に追い打ちをかけるように顔に水泡ができた。ピリピリして痛い、2日ほっといたが、目の周りから首に広がってきた、更に痛い、首のリンパ腺はびっくりするほど腫れて何とか自分で歩いて行ける皮膚科へ行った。そして初めて行った皮膚科で「これはとびひが悪化しちゃったかな」といってステロイドをたっぷり塗られた。はじめてかかる病院にリスクが高い事を痛感した。症状の経緯を知らないし、人の良さそうなおじいちゃん先生だったが、この頃は大人になったら治るという医者はいなかったけど若い先生のほうがいいのかもという認識を持っていた。不安になりながら帰宅した次の日、左目が完全に開かなくなってしまったのだ。慌てて鏡を見るとお岩さんのような私が写っていた、水ぶくれは赤い湿疹になりどんどん広がって行く首にも水ぶくれがある、楽観的でのんきな私でもさすがに、まずいと思い実家の近くの大きい病院に行こうと思った。母が駅まで迎えに来てくれて私の顔を見て絶句した。その足で総合病院に行き診察してもらった「これはカポジーだね」「はい?」小冊子をもらい単純疱疹と帯状疱疹とカポジーの事が書いてあった。初めて罹患した時に症状が重いと言われている。私はかかりやすい単純ヘルペス通称風邪の花と言われるのをすっ飛ばしてカポジー水痘様発疹症にかかったのだ。アトピーの人がヘルペスウィルスにかかるとまれに重篤化しカポジーになると言われている。単純ヘルペスに罹患した事がある方は結構多いのではないでしょうか。1日5回服用の物凄く高いゾビラックスという薬を貰って2週間ぐらいで回復しました。はじめて皮膚科で納得の治療です。そしてアトピー治療の目的で仕事をやめて実家へ帰ることにしました。

 漢方薬を試す

この頃姉が製薬会社に勤めていて東大病院の物療内科へかかる事ができました。漢方を試したかったからです。半年ほど通いだしたとき、また酷く悪化してしまって皮膚科で診てもらおうかと言われ診てもらいました。皮膚科の先生は「すぐ入院したほうがいいね。」「えええアトピーって入院できるの?」物心ついた時から汚い肌で当たり前過ぎて病気って意識が低くて「内臓は健康ですけどいいですか」と聞いてしまった。先生は肩を震わせて笑いをこらえていた。東大病院はベッド満床だから明日、飯田橋の東京逓信病院に来てくれる?と言われ姉の所に泊まった。

母に言った言葉

このとき私の顔はかさぶたや落屑が酷く、口は2~3cm程度しか動かなかった。あくびも出来ず薬を止めてから奥二重だった私の目は三重とか四重になって無表情で過ごしていた。食事も小さくして食べていた。痒いのと痛さで眠れないので精神的にも病んでくる会話も攻撃的に「私が酷くなったのはあなたに薬の知識がないせいよ!!」この頃母に辛くあたって出た言葉です。今でも後悔しています。アトピーの治療のお金はすべて母が出してくれていたのに。

 先生との出会い

入院することになり、ある先生に出会いました。ステロイド薬を使いたがらない私に先生は「僕は医者だから薬を使わないとは言えない、君の肌の状態は感染症のリスクも高いし重症だ、せめて傷が塞がるまでステロイドを使わせてくれないか」と言って下さいました。私は本当に驚きと嬉しさで未だにこの言葉は絶対忘れない。今までどんな病院に行っても薬の量、塗り方、いつまで塗るのか教わった事がなかったのだから。

忙しい入院生活

初診で即日入院した私は最初の1週間とにかく寝ました。同じアトピーで入院している人もいて嬉しかった。下を向かなくても堂々と歩ける。入院中の治療はシャワーを浴びて薬を塗るのが1日2回、シャワー室は2か所あって20分ごとに決められていて忙しい。薬は袋にすべて記載されどこに塗るのか細かく書いてある。順番に処置室に呼ばれ背中は薬をたっぷり&べったり塗ってもらい私はお面包帯という姿、顔型のガーゼ(グリパスc)という薬を塗ってある、昔からあったようですが見た目はまるでピーナッツバターでとても美味しそうだが、本当に匂いが独特で慣れるまでに時間がかかった。今ならOG―Zなのだが、取れないように包帯でぐるぐる巻きに消灯後の病棟では会いたくないレベルだと思われますが、血だらけだった私の顔は徐々に皮膚も柔らかくなって回復してきました。

入院して目からウロコ!

症状が落ち着いてきてから、夜寝ている時隣のベッドで掻き壊す音に起きた時があった。自分の無意識に掻く行為ってこんなに凄い音しているんだ。私の勝手な解釈だがアトピー患者って皆、手首や握力強いんじゃないだろうか?爪が長い子などほぼいない、テキメンに悪化するからだ。指の腹だけであれだけ凄い音がするのだからそりゃ流血するよね。状態の悪い時ってどこか必ず触って搔いているし、状態が落ち着くと自然と痒くないから掻かない。搔かなきゃ良くなると妙に納得したのを覚えている。私はこれまでこんなに自分の肌を労わった事があっただろうか、シャワーを浴びてから薬をたっぷり塗るだけの非常にシンプルなことだが、痒いと手も洗わず薬の重ね塗りやとりあえず塗る事を続けてきた。10代から20代前半まで女性として一番輝くときに暗く過ごしてきてしまった私はすっかりやさぐれていた、さすがに時間とお金を無駄にしていた事を激しく後悔した。

 近況報告

不良患者で通院をサボってしまうこともありました。今、3年程治験中でして今の肌は絶好調です。昔は何で普通の人と同じ物が使えないんだろう?と只々思っていました。柔軟剤やシャンプー、化繊の洋服、ネイルなど現在楽しんでます。

最後に

「アトピーは良くなったり悪くなったりを繰り返してだんだん良くなる病気」だと主治医の江藤先生は言います。昔の私が一番欲しかった言葉なのではないかと思います。アトピーと上手に付き合うには、性格のあう先生を探す事と薬を上手に使う事だと私は思います。

 

 

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