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アトピー性皮膚炎体験記:正しい知識で適正な治療を

私は2歳よりぜんそく、3歳でアトピーを発症しました。さらに、花粉症、円錐角膜、緑内障、うつ病に罹患し、これまで筆舌に尽くしがたい苦しみの中で生きてきました。

現在、ありがたいことに縁あって日本アレルギー友の会を知り、医師のもとでのステロイド治療は安全で一番アトピーに効くことを知り、私の皮膚は劇的に良くなりました。まだ完治とまではいかないのですが、あの地獄の日々が夢のようです。

ここに、私の尋常ではない半生を綴っていきたいと思います。書く私もつらく、読む皆さんもつらいと思いますが、しばらくおつき合いいただきたいと思います。

三重県T.U(39歳)

 

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【いいことがほとんどなかった】

 子供の頃からアトピーとぜんそくに苦しめられました。顔がいつも赤黒く、手足の関節辺り、そけい部などが大変痒かった記憶があります。小・中・高でいじめに遭い、勉強はかゆみとぜんそくの発作のため集中できず、全く身が入りませんでした。自分はダメな人間なんだとずっと思い続けていました。同級生達は楽しそうに過ごしてしているのになぜ自分だけこんなつらい目に…友達は心が強く僕は弱いんだな、とよくそんなことを思っていました。

ただ、小学校の時今まで生きてきた中で一番楽しかった思い出があります。小さい頃から花粉症もひどく、4年生の時あまりの眼のかゆみで、寝ている時無意識に爪で眼の裏をえぐってしまい、三重大学病院に緊急入院したのです。50日間の入院中、眼の治療で大変な想いをしたものの、ぜんそく、アトピーは思いのほか楽で、同い年の友達もでき、このときばかりは毎日が楽しくてたまりませんでした。えぐってしまった左眼は0.01まで低下し、一旦は日常生活が送れるくらいまでに回復したものの、ずっとかゆくて眼をこすっていたので角膜は確実にダメージを受けていたのでしょう。30代初め頃から円錐角膜になり、症状が進行し右目はほとんど見えない状況です。

 中学生になっても症状は一向に治まらず、高校の頃はぜんそくは少し楽にはなったものの相変わらずアレルギーに悩み、未来を案じ毎日悩んでいました。学校に行くのが心底嫌で、楽しい思い出はありません。そして、夜のニュース番組で「アトピー治療に使われるステロイドは危険な薬です」という報道がなされ、それを頭から信じ込んでしまいました。ここからさらにアレルギー地獄の深みに入っていくのです。

 

【一人暮らしをするも良くならず】

高校を卒業し、実家を離れて音楽の専門学校で学びながら一人暮らしを始めました。家を出ることができた解放感からか、ぜんそくは子供の頃と比べてずいぶんと楽になりました。しかしアトピーはひどいままでした。

20歳の頃、人に騙されたり、両親に迷惑をかけたこともあって、実家に戻りました。

皮膚科でステロイドを処方されても、悪魔の薬と信じ込んでいるので、塗らない。するとてきめんに悪くなる。何をどうしたらいいのか全くわかりませんでした。ただいつか良くなる、いつか良くなると希望だけは捨てずに気持ちだけでやり過ごしました。ステロイドは悪い薬、しかし塗らないとひどくなるから仕方なく塗る。毎日塗っても治る気配すらない。主治医にも良くならないことを訴えるものの、のらりくらりとかわされる。その頃の膨大な時間と多くのお金を費やした日々を思うと、悔しさやと情けなさでとても複雑な気持ちになります。

 

【脱ステロイドとうつ病に苦しむ】

23歳の時、脱ステロイドに踏み切ります。「アトピーを完治させたかったら還元水を飲んでステロイドを断つ」という治療方針の病院に入院しました。ところが…入院してからアトピーはみるみる悪くなっていったのです。全身から滲出液が大量に出て、痛みとかゆみでもがき苦しみました。このつらさはとても言葉で表現できません。3ヶ月間毎日10ℓ、多い時は12ℓもの還元水を飲んでいました。死ぬほど苦しい思いをしたのに結局大した効き目もなく、退院して家に戻ったら以前と同じように悪くなってきました。

もうひとつ忘れられないことがありました。同じく23歳の時、資格をとるためある講習に通っていて、廊下を歩いている時にそれは突然やってきました。(あれ、おかしい、なんでこんなにだるいんやろう?昨日夜更かししたかな?それでもなんでこんなに異常にだるいんやろう?)うつ病の始まりです。病院でカウンセリングを受けたり、薬を飲んだりしても全く改善されない日々。自分でも本を読んで実践してみたり、いろいろなことを試してみましたが、アトピー同様全部ダメでした。「毎日なぜ生きているんだろう、何のために生きているんだろう、死にたい、消えてしまいたい。」そんなことを毎日日記に書いていました。アトピーとうつ病のダブルパンチです。

 

【思考はどんどんネガティブに】

31歳の頃、花粉症でとにかく眼がかゆく、その後円錐角膜になり、ハードコンタクトでないと視力が出なくなりました。元々はずれやすかったり、違和感と痛みでつらいのにアトピーで眼がかゆいため、余計つらくなるという悪循環でした。

32歳の頃だったと思いますが、アトピーは痒疹型に変わります。全身が全部ひどいという感じになります。もう死にたい消えたい、死んだ方が楽や死んだ方が楽やと夢遊病者のようにつぶやいていました。

一向に治まることのないかゆみと痛み、頭重感とだるさ、アレルギーとうつ病の間で意識は確実に死に向かっていました。自分を恨んでも仕方ない、親を恨んでも仕方ない、世間を恨んでも仕方ない、それだったら何に怒りをぶつければいいのか。

33歳の頃、兵庫県の病院に入院し、断糖食でアレルギーを治そうと試みました。食事は肉・大豆・牛乳・卵のみ。タレやソースも糖が入っているので禁止。入院を含めて1年間続けましたが、全く効き目はありませんでした。

35歳の頃、本気で死のうと思い、毎日死に場所を考えていました。しかしその頃、入っていた地元の消防団の後輩が、若くして自殺するという出来事がありました。23歳という早すぎる死。告別式で多くの友達が泣きながら彼を見送るのを目の当たりにしました。彼の母親は何とも表現できない顔で…。そのとき思ったのです。自殺はいけない、どんなに人生がつらくても自分から死ぬのはやめようと。自殺大切な友達や家族から自分で自分を奪う他殺ではないのか。そう考える転機になりました。

 

【ようやく光が見えてきた】

 その後、ある理由でまた実家を出て近くで一人暮らしを始めることに。

 そして、インターネットでたまたま日本アレルギー友の会を見つけたのです。標準治療を勧められ、やってみようかなと思ったのは、電話での相談に応じてくれた方が医者ではなかったこと、その方自身もアレルギーで苦しんできたことでした。高校の時に見たニュース番組の報道がデマだったことも知りました。すぐに朝と晩にステロイドをべっとり塗ってみました。2週間で見違えるほど皮膚はきれいに。病歴が長く痒疹型アトピーのため一気に良くなることはありませんでしたが、少しずつ確実に良くなっていきました。相談に応じてくれたアレルギー友の会の丸山さん、皆さんに感謝します。

 

【前向きに生きる】

私はこの病で人が生きることをとことん考えました。答えの出ないことを考えて考えて…。考えても何も解決しませんでした。人の優しさより冷たさを多く感じ、人の賢さより愚かさを多く感じました。特に医師には患者の心に寄り添う気持ちを持ってもらいたいです。患者に寄り添っていない医師が多いのは残念なことです。

まだ治療中ですが、今までできなかったことがいくつもできるようになりました。

◎綿100%にこだわらず、化繊の服も着られるようになった。

◎薬が塗りやすいようずっと坊主頭で、髪が少しでも伸びるとかゆくてたまらなかったが、髪を伸ばせるようになった。

◎体中傷だらけのため風呂に入るのは苦痛でしかなかったが、湯舟につかれるようになった。

◎体中が傷だらけのためかなり熱い湯を体にかけないと傷にしみて痛かったので、本当は皮膚に悪いと思いつつ熱い湯をかけていたが、今は気持ちいい温度のシャワーを浴びれるようになった。

◎以前よりよく眠れるようになった。

◎病院へ行くのが以前より苦痛でなくなった。

◎物事に集中できるようになった。

◎精神的に安定するようになった。

◎以前は布団入っても体中掻きむしるため、服を着て寝ることなどとてもできなかったが、部屋着などを着て眠れるようになった。

◎手が荒れるので料理をしたくてもできなかったが、苦痛なくできるようになった。

これからは仕事も普通の人と同じようにできて、自分の興味あることにも取り組めていけたらいいなと思っています。

(あおぞら562号より)

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