ステロイドの情報に迷い様々な治療をし、やっとたどりついた標準治療で良くなった荻野さん。つらかった日々からグアム島で太陽を浴びて笑顔になれるまでの体験談です。
(埼玉県 荻野美和子さん / 女性 / 31才)
炎症を長引かせた日々
20年以上アトピーに苦しんできました。良くなって10ヶ月、ある日体の底から今まで経験したことない身体の温かみを感じた時がありました。あの時期があったからこそ、今真の健康を感じることができるのだと分かった瞬間『健康を伝えていきたい!』と強く思うようになりました。そこに至るまでにはこんな人生を歩んできたからです。
私がアトピーだと自覚したのは小2のクラシックバレエの発表会の日、白粉を塗ると私だけまだらで黒ずんだ腕になり、友達とは違う肌だと気づいたことが始まりでした。とてもショックだったのを今でも覚えています。今は子供でも外用薬で十分アトピーをコントロールできるステロイド治療が推奨されていますが、20年前はアトピー=フードアレルギーという食べ物が原因と位置付けられ食事制限もしました。給食もお弁当を持参し、やはり他の人と違うことで劣等感を感じました。
いくら食事を除去しても治らず、一方でステロイドバッシングも広がり親娘とも、氾濫するアトピービジネスに困惑し、結局怖々とステロイド治療を続けていました。アトピーは乾燥からバリア機能が低下し、ほこりや刺激物が皮膚に入りかゆみを起こすので本来ステロイド薬と保湿薬のセットが不可欠なのですが、私はステロイド薬のみ患部に薄く塗るだけでした。この“薄く”が私のポイントで、なるべく少量で治そうとしていたのです。でも例えでいうと火事が起こっている家にジョウロで水をかけているようなもの。これで火事を鎮火させることは無理なことであり、私の肌はずっと小さな火がジリジリと燃えている状態で気づくと高校生になっていたのです。
夏休みアメリカでホームステイするためパスポート写真を撮りに行った時、出来上がった顔写真を見て愕然……こんなにも私の顔はアトピーだったのかと……すぐに皮膚科に診てもらいに行きました。そこでは経口ステロイド薬(飲み薬)と塗り薬を処方されました。飲み薬はかゆみが止まりますが、アトピー以外にも体中に薬を効かせてしまうため、外用薬よりも副作用を起こしてしまう可能性があり、特別なことがない限り今はアトピー治療ではあまり飲まないのが主流のようです。しかしあの頃の私は『このかゆみを抑えさえすればアトピーはいつか治る』と飲み薬に頼っていました。塗り薬もよく効くので、ベリーストロングクラスのステロイドを顔まで平気で塗っていたことを覚えています。
アトピー標準治療はその時の症状に合った適切なランクのステロイド外用薬を使用して正常の肌にしていきさえすれば何も怖くない治療です。しかし私は間違った薬の使い方をしていただけなのに、大学3年生頃からだんだんステロイドも効かなくなってきたと思い込み始めてしまいました。そして世間の言うステロイドバッシングを信じ、根拠や理由もこの期に及んでも調べることもせず、脱ステロイドを決心します。
ステロイドは麻薬?
その医者はインターネットで見つけました。医院のホームページには完治した人の手記がずらりと、『完治しました!』とどの手記にも書かれてあり、身も心もボロボロになっていた私にはそのHPがキラキラ光る宝石のように見えました。その病院は大阪でしたが、藁にもすがる思いだったので迷うことなく新幹線に飛び乗りました。その医院の待合室には「一切ステロイドは出しません。欲しい方は他の病院に行ってください。」と堂々と大きな張り紙があり、診察室に入ると、満面の笑みをした先生がいて“おめでとう!”と握手をされました。「絶対治してやる!でも1ヵ月後なのか3年後なのかどれくらいで治るかは分からない。でも絶対治るよ」と言われたのです。完治までが未知の治療と言われても、患者の手記、待合室の張り紙、先生の握手、それに「治してやる!」の一言、すべてが私には明るい未来に見えました。
治療開始直後から寝返りもできないくらい体中の皮がズル剥けになり、顔はタオルをずっと被せていないと黄色ブドウ球菌が顔から流れ続ける状態。本当ならそんな状態は感染の恐れがあるため一刻でも早く治さなくてはいけません。でも私はこれを乗り切れば明るい未来が待っていると信じ、結局その状態を3ヶ月間も続け、太陽を恐れてカーテンを閉め切りベッドの上で生活をしました。その時の日記を読み返すとステロイドのことを『麻薬』と書いています。最悪な状況下においても絶大な信頼を寄せてしまう日本のでたらめなアトピー情報をどうにかならないかと今とても考えさせられます。
治療は、飲む煎じ薬と煎じ風呂に毎日2時間入るのですが、面倒くさがって毎日治療することはなく、約3年は適当に続けていました。それでもまだ私は、未来の完治を信じていました。しかしアトピーと正面から戦うために始めた漢方治療がアトピーの『ア』の字も聞くだけでかゆくなり、アトピーと背を向けている自分に気づいた時には5年半の月日が経ってしまっていたのです。
入院治療で見違えるような美人に
その時期に祖母から皮膚科の先生の紹介を受け検診に行きましたが、そこはステロイド治療でした。この治療をしたら今までの5年半の脱ステが無駄になってしまうことになる!と最初は拒みましたが、もう自分で治療を探す気力はなくこのステロイド治療に戻ることにしました。さっそく入院し治療を開始したら、戻るどころか今までとはまったく違うものでした。体全体にベリーストロングクラスの薬と保湿剤を、顔にはミディアムクラスのステロイド薬をベッタリ塗り、全身包帯でグルグル巻きになりました。日ごとに少しずつランクを落としていき、入院期間8日間で見違えるほどの美人(?)になり世に帰還しました。退院し帰宅した私を見て父親はあまりに変わってしまって、ビックリしたというより一瞬「誰?」とそんな顔をしたのを私は忘れません。それくらいに私は人相が変わったのです。現在の肌の状態は、市販の保湿剤だけで正常な肌を保てるまでになりました。これぞ脱ステ成功!
こうやってたった8日間ですっかり良くなってしまい5年半もの年月をとても後悔しました。でも冒頭で申した真の健康を感じることができてから、『私だからこそできること』これを伝えていきたいと思い、この友の会のボランティアに参加し始めました。またmixiというサイトで「お肌の悩みコミュニティ」という名前でコミュニティも開始しています。この2つで共通して分かったこと、それはひどい状態でも誰一人放っておいている人はいないということ。ただ、ステロイドを怖がり氾濫する情報に混乱している人がまだまだ沢山いるのが現状です。まず話を聞いて辛さの分かち合いをすること、そこからもし心を開いてくれたらステロイドの安全を伝えていきたいです。そして病気で苦しむ人だけでなく、それを理解できる社会にしていくために私ができることは何かを考えていこうと思っています。
良くなった今、私は自分の肌からすべてを語り、まずはボランティアやコミュニティサイトを通して「ステロイドは怖くない!」を伝えていきたい、そして一人でもいいから私のようにHAPPYな人生になるお手伝いができればと思っています。