幼少期からのアトピー性皮膚炎でも明るく活動的なIさん。皮膚科医の治療を受けながらも軽快することなくつらいままに仕事も続け出産も乗り越えてきました。やっと標準治療に出会うことができ、快適な毎日になり、さらに多方面に活躍しています。
(東京都 Y・Iさん / 女性 / 患者暦52年)
私が小さいころは、アトピーという言葉が、やっと世間に出てきたころで、まだ、原因ははっきりしていませんでした。親は苦労したと思います。赤ちゃんのころの写真はどれも包帯に包まれてミイラのようでした。毎日病院に通って、薬を塗って包帯で巻いて、足に注射をしていたそうです。見かねた近所の薬局の薬剤師さんが、「大腿四頭筋への注射は、後になって何が起きるかわからないから……」と軟膏を調合してくださり、それを塗るようになってから、ミイラではなくなりました。それ以降、覚えているのは、「掻くな!」とよく言われたこと、悪くなると薬を塗ること、位です。時々痒くはなるものの高校を卒業するまではみんなと同じように、海で泳いだりクラブで汗を流したり、普通の生活を送ることができました。
ところが、ある日、突然、顔が真っ赤に腫れたのです。大学に入ってしばらくしてのことです。親元を離れて地方にある大学へ行き、寮に入って開放された楽しい楽しい夢のような日々を送っていたときです。医者に行って、アトピー性皮膚炎と花粉症と言われたのですが、それからが私の中での長いアトピーとの戦いの始まりでした。大好きだったタートルネックのセーターが着られなくなったり、毛布が使えなくなったり、徐々に悪くなっていくのがわかりました。ちょうど家庭教師のバイトをしていたのですが、その子に「顔が腫れて紫になってる。」と指摘を受けたこともありました。それでもステロイド軟膏を塗って、特にスキンケアをするわけでもなく掃除に気をつけるでもなく、生活していました。
大学を卒業して東京に戻ってきて就職しましたが、環境が変わったことと仕事のストレスが、こんなにもアトピーに影響するとは思っても見ませんでした。今まで湿疹の出たことがない背中や太もも・頭にも発疹が出て、痒くて夜も寝られない程でした。特に頭に出たのは薬を塗るとベタベタになってしまい、朝ていねいにシャンプーしても落ちず、仕事へ行くのをためらったほどでした。でも、就職して1年目では休暇もとれず、仕方なく通っていました。近所の皮膚科では、どんなにひどくてもステロイドの軟膏と飲み薬が出されるだけだったので、見かねた薬剤師の資格を持つ姉が、減感作療法をやっているT医大を勧めてくれました。T医大へ行き、原因がダニということがわかり、減感作とステロイド軟膏の治療を受けるようになりました。が、仕事をしていたので毎週減感作の注射に通うのは難しく、結婚して忙しくなったこともあり、だんだん足が遠のいて、また近所の皮膚科で薬をもらうようになりました。そして、妊娠しました。妊娠してからは一段とひどくなり、全身が真っ赤でいつもボリボリ掻いていて体液が出てくるほど掻きむしっていました。近所の皮膚科で某大学病院を紹介されましたが、自宅から近いこともあり以前受診したことがあるT医大へ行くことにしました。初めに診察してくださった先生に「こんな状態なら、がさがさの子が生まれるな」(驚き!)と言われ、悲しかったです。今の私なら言い返せるのに……今でもその先生の名前と口調を覚えています。夫に言うと「今、産まなかったら、一生、産めないよ。」(たまにはいいことを言う!)と言われて、産む決心をしました。治療で両手両足に包帯を巻くようになり、赤ちゃんのころの写真を思い出しました。1ヶ月間、毎日包帯の交換に通いました。減感作療法を受けても全身が痒いのは変わらず、お腹が大きくなってきても掻きむしってしまい、跡が沢山……出産後、後悔しましたね。水着になるのも嫌だし、他の人と一緒にお風呂に入るのも嫌。でも今は、膝丈で長袖の水着もあるし、温泉には貸切露天風呂も!世の中は変わるものです。
仕事と育児でT医大には通いきれず、そこの先生が開業しているクリニックで減感作療法を続ける事になりました。それからは、IgEの数字との戦いでした。良くなったときはいいのですが、悪くなると結構厳しく、ちゃんと掃除はしているのか、食べ過ぎていないか、湿度の管理はどうか……それより何より、「ステロイドもプロトピックもなるべく使わないで、環境を良くして改善するように」と言われました。そんなことで良くなるなら医者は要らないと思ったものです。ヘルペスになった時に入院をしたいと言ったのですが、「入院は大変だよ。」との一言で、叶わなかったり……良くなったり悪くなったりしながら、それでも、なんと20年も通い続けました。子育て中の貴重な自分の時間のほとんどを通院に使っていて、アトピーでなければ友達と遊んだりもっといろいろなことができるはずなのにと、孤独を感じたりうらんだりもしたものです。減感作療法は長期間かかると言われていたのですが、10年を過ぎたころには諦めもありました。毎日があまりに忙しく、医者を代えることや他の治療方法にするという発想がもてなかったのです。保湿剤と軟膏がもらえればよいかな、位に思っていました。また、温泉療法やら水治療やらの情報に惑わされそうになったこともありました。もっと早く友の会に相談すればよかったと後悔しています。
息子が大学生になり、私と同じようにアトピーがひどくなりました。同じクリニックにかかるようになりましたが、その費用が二人分となり大変で、やっと病院を代える決心がつきました。仕事関係の病院で標準治療を受けるようになりました。それまで週1~2回の通院だったのが月1回に変わり費用も半分以下で、何と快適なことでしょう。それまでびくびく使っていたステロイドやプロトピックも十分に使ってきれいにして、楽になりました。気持ちの上でも。
現在でも標準治療を続けています。ステロイドは週に1~2回、使うときはしっかり充分に使い、他の日はプロトピックで何とか治まっている状態です。この前の友の会での講演会で、講師の細谷先生に、「掻かないように……」の話を聞き、気をつけていこうと思っているこの頃です。友達から何回か聞かれたことがあります。「仕事もして子どももいて、何でそんなに活動的なの?」と。
私は自分が活動的だとは、思ってもいません。日々の生活と通院に追われているだけだと。でも、思い起こしてみると、子育てや仕事や通院をしながらも、時間を見つけては温泉や海外旅行に行ったり、英会話や油絵を習ったり、遅くまで飲んで大騒ぎしていたり、十分有意義な自分がいました。病院通いがなくても今と同じ生活をしていたでしょう。そして、治療を受ける患者の気持ちも良くわかります。無駄な時間ではありませんでした。みんなも同じ。世の中には、いろいろな人が支えあって生きています。アトピーでよかったとは決して思いませんが、いろんな人のことを解ろうとすることは教えられたように思います。今後も今まで以上に長い患者生活を楽しく有意義に送らないと!