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体験記:大震災とぜんそく

振向いたときには津波が足元まできていた。ポケットにメプチンを入れて夢中で津波から逃げて命からがら助かった S・Kさん  。ぜんそくを持ちながらの避難所生活などつらい日々を寄稿してくださいました。被災の現状がひしひしと伝わってきます。病気を持つ者として日頃の備えも大切なことを伝えて下さっています。

(宮城県気仙沼市 S・Kさん / 67歳女性)

東日本大震災から7カ月も過ぎました。あの日のあの時から市・町はすっかり変わり果ててしまいました。恐ろしい瞬間でした。あの大きな地震は何かにつかまらなければ立っていることができない状態でした。
 すぐ電気は消え、ガス、水道も切れました。屋上は避難場所、ほかからの方が上がっている。私も階段を上ろうとふと後ろを振り向いた時は津波が足元でした。びっくりして「危ない、流される!」と思いました。私は慢性の気管支ぜんそくです。普段走ることができないのに、どんなに走ったのだろうと自分を疑いました。ポケットのメプチン吸入を使ったのだろうか?いや、そんなことをする余裕などなかったと思う。その時のことは覚えていないのです。
 3階に上がって見たものは、大津波で何十台もの車が浮かんでいたこと、隣の家がない、おばちゃんがいたはずなのにどうなってしまったのだろう。まわりの家も1階は何もなくなっている、ほかの家は傾いている。瓦礫は山のように重なりあっている、自分たちは閉じこめられている状態なのか、夜は怖い、爆発音や火災、屋根にいる人たちの話し声、遠くかすかに聞こえる「タスケテ」の声、あの声は今でも耳に残っています。みんなどうすることもできないのです。爆発音・火災は広がり、飛び火がここまで来ないようにと願うしかありませんでした。
 2階まで上がった津波はなかなか抜ききれません。薬も充分持っていない。一次避難は中学校、朝からヘリコプターでの移動は屋根の上にいる方々のようでした。私たちは自衛隊員さんが来てくれて、瓦礫でいっぱいで通れないところを歩けるように作ってくださいました。両手に持った鞄に隊員さんから「身一つだ!」と言われ、ハッとして左手の鞄を思い切って捨てました。今思うと「命があるとはこのことなのか」、生きることへの第一歩だったかもしれません。大切なものを諦めたのです。
 

どこまでも続く瓦礫の山、滑ったり転んだり、冷凍サンマがごろごろあり、どこかの冷凍庫のものが流されたのでしょう。やっとの思いで歩き、校庭に着いた時、知り合いみんなでそれぞれ抱き合って泣くしかないようでしたが、自分は全然涙が出なくなっているのに気付きました。どうしてだろう、何で悲しいのに涙が出ないのだろう、夫がいない、お爺ちゃんが、お婆ちゃんが、皆いろいろな思いを話しました。校舎の夜は1本のロウソクの灯が空しく、赤ちゃんも寝付けないようで泣く、お母さんは小さな声で「大丈夫だよ」と何度も話していました。おそらく皆こんな思いだったのでしょう。

朝は少し日差しがあり、避難所への移動で近道をと歩いたものの、どこも瓦礫でいっぱいです。どうでもよいと思い、途中で休んではまた歩き、その夜から公民館でした。みなさんの中に入れていただき、食事は3度いただき「いっぱい食べてね」の言葉にとってもありがたさを感じることができ、その言葉は勇気にもつながりました。
 全国からの支援物資、次の日から自立の道ということで、自分の食べる物は自分で取りに行く、身のまわりの整頓、使えるものは最後まで使う、割り箸や紙コップ(味噌汁用)も大切に使いました。物がない、売るところもない、品物が入ってこない。何もかもが不自由な時、みんな初めてのことを、それぞれの思いはどんなだったろうと考えました。前の晩は2人でお握り1個をいただいて、やっとお湯も飲めるだけですぐになくなってしまうような中、薬を飲む分だけ少々残す。公民館には衣類も届けられ、みな着の身着のまま夢中で、今はあまり思い出したくないほど、本当に待つしかなかったのかもしれません。そして今があるのです。あまりにも何でもすぐに手に入った時を思い出すと、あまりにも贅沢だったなと思いました。
 そんな中、風邪気味から、ぜんそく発作が感じられ、定期的に薬は服用していたのに、少々がっかりしました。その午後、友達が毛布やタオルケットや下着を持ってきてくれ、私の調子悪さに気付き病院へ送ってくれました。自分でもちょっと不安だったので私立病院の派遣医に「お薬手帳」を渡し、苦しいことを話したところ、レントゲン検査は以前と変わりなし、熱もなく、「お薬を使いましょう」と言われました。「ステロイドかな?いやだな!」しばらく使っていないし、でもすっきりしないし、医師は私の心配に気付き「大丈夫、我々は同じ仲間、避難所にいるなら使ったほうがいい」と話され、私も決めました。点滴が始まり、友達も待っていてくれて本当にありがたかったです。薬もいただいて帰り、その後3日くらいして実家に帰ってくることができました。
 ライフラインは全然だめでしたが、今は発作も落ち着いています。みなさんのご支援で、自分の体を守りながら、新しい生活を過ごしております。温かい善意のおかげです。仕事場もなくなり、年齢でハローワークも終わりです。医師も津波にのみこまれてしまいました。ご冥福を祈るのみです。

 ここからは私の子どもの頃からのぜんそくを書きます。
 私は物心ついた時から体の弱い子で、祖父母の手で、甘やかされて育ったようです。母はいつも外へ出て、暗くなるまで、近くの家の手伝いでした。加工工場とかでいつも魚があり、大好きで食べていました。父はなし、咳が続いてはよく井戸にある雪ノ下を煎じて飲まされていました。昭和19年9月生まれ、医学の発達もない時で、風邪をひきやすく祖母にいっぱい着せられ、海のそばでも泳ぐことさえもできませんでした。今なら水泳は肺には良いとと言われていますが、そんな時代ではなく、4人兄妹の末っ子、甘やかされるのを好んでいたような私、つまりわがままでした。小学校に入っても休みがちで、歌うのが好きな子でした。
 弱いから、ぜんそくに良いといわれるいろいろなことをしました。ナメクジ、蛙を一気に飲むと良いとか?でも気ままな私はそれだけは飲みませんでした。もっといろいろあった気がします。薬はネオフィリン、アロテテック錠の時代で、結構使ったのはメジヘラーイソです。なくなっても何度も振って1回あれば苦しさから逃れられるとよく振ったものでした。ネオフィリン錠は一生飲み続けるようだよと話された先生も亡くなり、新しい薬の開発で出してもらえなくなった時はとても困りました。体がその薬に慣れてしまったようでした。
 ある温泉に入浴中に発作を起こして大学病院にかかった時、「先生、ぜんそくは治りますか?」と聞きました。先生は「治らない!」とはっきり話され、嘘でもいいから治ると言ってほしかったと、がっかりした私でした。
 それからの私は絶対治してみせると、心にした気がします。家から出なかった私でしたが、それからは強くなり、ぜんそくで治療している方に教えられ、一緒に働きながら治療しようと誘われました。外へ出るのも仕事をするのも初めて、人に話す言葉も知らないまま、子どもの頃から湿疹もひどく、膝裏・肘関節をかいては醜くした繰り返しの体に、ぜんそく・アトピーが治るという冷凍血液療法を試みたのです。そんな時代は35、6年前だったと思います。それでも発作の時はケナコルトもあり、ブドウ糖とネオフィリン注射はどんなに私の体に入ったかしれません。入退院を繰り返すたびにステロイド、ついには肺気腫になり階段の上りが辛く、毎晩腹式呼吸をしたものです。ステロイドには恐怖感もありましたが実際は切れる時は待ったなし、ボスミンで助かったこともありました。
 臨死体験もしました。今までかかったお医者さんは5人亡くなりました。私は生かされているのです。今回の先生は私がぜんそくだと知り「俺が拾うから」と言ってくださり、35歳で医師会の准看護学校に通わせてくださった先生です。発作が起きても絶対に休むことはできません。ただ熱が高い時は休みましたが、住み込みで34年間病院にも通わせていただき、今はテオドール朝晩3錠ずつ合計300㎎とシムビコート朝晩3吸入ずつ合計6吸入、ちょっと発作時にはメプチンエアーの処方で過ごしております。私は今回亡くなった先生に「ぜんそくは友達と思え」と言われていました。友達は一生の付き合い、今になってわかるような気がします。「ぜんそくよありがとう」です。ぜんそく治療法も変わり、私が求めている時代に入ったようです。
 この何年か前までは、心因性と言われ、私は風邪で熱とともにCRP(C―リアクディブ・プロテイン)が12倍くらいになります。白血球は2万4000にもなり、発作止めと抗生剤の点滴でした。私のぜんそくでははっきり気管支の炎症が明らかだったような気がします。医学の進歩に感謝し、その時代の治療をし先生方に生かされたことに感謝しております。仲良しの友達4人も亡くなりました。結婚して10カ月の娘を残して天国へ行った祥子さん、ぜんそくで苦しむことがなくなったよと教えてあげたい。ともに苦しさと戦った友達が何人もいます。みなさんに生かされています。今回出された久保先生の本、総仕上げのように詳細でした。たいへんありがとうございました。(平成23年10月20日)     (あおぞら481号より)

★今回の災害で持ち出した鞄の中身
薬(少し足りませんでした)・保険証・診察券・お薬手帳・少々のお金・携帯電話・ペン・メモ用紙・電灯・水・ウエットティッシュ・ラジオ・新聞紙・靴下・マスク・あめ

 

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