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アトピー性皮膚炎体験記:視力を失った私が幸せを感じること

「幼少期からのアトピーで、10歳頃から症状が広がり、いじめにもあった。大人からは、不摂生のせいだ、先祖のたたりだ等々、これは長く最近までさまざまに言われ、本当に肩身が狭かった。」

多く人に助けられながら、自らの症状と向き合ってきたY.Kさんの体験談です。

東京都 Y. K(51歳)

★辛い症状

 幼少期からのアトピーで、10歳頃から症状が広がり、いじめにもあった。大人からは、不摂生のせいだ、先祖のたたりだ等々、これは長く最近までさまざまに言われ、本当に肩身が狭かった。

 15歳で片目が網膜剥離になり、数回の手術を経てから悪化するようになった。ひどい時は全身の皮膚から浸出液が出て動けなくなり、息もたえだえだった。

 悪化させてしまったことが数回あるが、いずれも入院をして良くなり、その後は定期的に通院し、ステロイドの扱い方が変化していくのについていくといった感じだった。

 20代前半、発疹が出る前にステロイドで抑えるように指導され、非常に良くなった。その2年後、右目の違和感を感じてきた。緑内障の発症だった。

★視覚障害について

 両目ともに白内障があり、左目の網膜剥離は、かゆみからまぶたを強くこすったことに起因している。右目の緑内障は、ステロイドの副作用認定を受けているが、それに気付くまでには、失明してから10年以上を要した。

 眼科では、アトピーと眼科疾患の関連を疑っていたが、皮膚科と連携がなく、因果関係は調べないままだった。ある時、自ら認定請求をし、副作用による障害だと認定され、やっと報われた思いがした。

 20歳くらいまでは、ステロイドを目のまわりに塗らないことや、使用後に手を洗うことも指導されていなかった。長期間同じところに通院していると慣れてしまうのか、こうしたことを知るのは、いつも次の病院に行ってからということになる。

 数年前、転居のため通院先を変えた時、数軒の皮膚科で皮膚の状態から、診療を断られた。それまでの病院ではステロイドの上に保湿剤を塗らないと効かないと言われ、そのため、皮膚が薄く萎縮し、こじらせていてどうしようもできないと言われた。アトピーで有名だという病院でずっと診てもらっていて、指導通りにしてきたのに…とショックだった。

★今思うこと

 ここまで、辛いことばかりを書いてきたが、今、私は不思議と幸せを感じている。それは窮地に立たされても、さまざまに助けられてきているからである。

 全盲になり、恩人といえる人と出会った。誰にも言えなかった思いを、その人は否定せず受け止めてくれた。それだけではなく、生活の工夫や、合う石けんを探し出したりと、少ない選択肢であっても何かしら見つけられるまで励ましてくれた。今思うと、暗闇の中、希望の光を見つけ出せるまで、根気強く伴走してくれていたように感じる。今は、同じ視覚障害をもつ夫と出会い、良き伴走者として支えてもらっている。

 このように、厳しい状況を受け入れてもらえたことで、私も病気のある自分への見方が変わってきた。アトピーは嫌としか思っていなかったが、これがほかの誰かのことだったら…、ちゃんと手当てしてあげようと思うようになった。

 診療を断られた際も、診てくれる医師に出会えた。状況を理解した上で受け入れてくれたことに感謝している。

 数年前からネオーラルを使っているが、昨年から感染が増え、症状のコントロールもうまくいかなくなってきた。別の治療に移行できたらと医師に相談したところ、最寄りの病院へ紹介してもらえた。

 これが功を奏し、新しい病院では全身の皮膚をくまなく診てもらい、ごく初期の皮膚がんが見つかった。見た目では判別しづらく、ほかの医療機関でも良性と言われたものだったので、本当にラッキーだった。

 がんの発症にはネオーラルの関与が否定できないとのことで、ネオーラルを減らしながらデュピクセントの治療へと移行して4カ月が経つ。

 TARC値は 3200 から 500 になり、バリア機能も改善、水分量も20程度だったのが100%になる時もあるほど、良くなってきた。汗の出方も改善してきているので、体温調節が良くなるといいなあと思うのと、薬価がもっと手の届くものになることを願っている。

 振り返ると、適切な指導があったら良かったと思う。しかし、それらが今の治療に活かされてもいる。患者の辛い体験や良かった体験が積み重なって、より良い医療が産み出されることが、私にとっての幸せである。

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