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アトピー性皮膚炎体験記:そのうちなんとかなる 

社会人になり、突然発症したアトピー性皮膚炎にとまどうHTさん。引っ掻いたところから血が滲み、痛くていすにも座れなくなる。それまで活発に行動がしていたのがウソのように行動ができなくなり、精神も萎えていった。そんな毎日から「そのうちなんとかなる」と思い地道に治療をしていき、自分なりの良くなる方法をみつけて良くなってきました。今では仕事に趣味に活躍するHTさんです。

HTさん(44歳)

 

【朝のルーチンワーク】

 鏡を見る。額の髪の生え際と右のもみあげの下が赤くなってわずかに血の滲んだ痕がある。両目の充血は昨日よりも大分治まっている。左の外耳が右に比べてやや腫れているが気になるほどではない。右の頬から下顎にかけて引っ掻いた傷がある。

 裸の上半身に目をやる。胸や腹の皮膚の赤みは引いている。上腕から肘の外側にかけて所々細かい傷があり、血が固まって付着している。振り向いて背中を映す。こちらも概ね赤みは引いている。肩甲骨の辺りに数か所、かつて出血した傷の痕があるが、今はふさがって赤い点になっている。膝の裏からふくらはぎにかけてうっすら赤くなっている部分があるが、目立った傷はない。脱いだパジャマと枕カバーに少しばかり血の染みがある。シーツには…付いていない。

 今日はまだましな方かな。そう呟いて保湿剤を手に取る。たっぷりと勢いよく全身に塗り込んだ後、赤くなっている箇所にステロイド外用剤を重ねて塗る。あまり時間がない。朝はいつも慌ただしい。夜しっかり薬を塗っても寝ている間に引っ掻いてしまい、翌朝改めて塗る時間を確保しなけばならない。顔の傷はかなり大きいので今日はステロイドにしよう。それ以外の部分はいつも通りプロトピックで…。最近ではこの薬独自のヒリヒリ感も気にならなくなった。傷に触れないようそっと肌着を身に着け、ワイシャツとネクタイ、スーツを重ねて着る。

 朝の通勤時間は外用剤を皮膚に浸透させる貴重な時間帯である。電車の中で抗ヒスタミン薬の点眼剤を差す。職場に到着する頃にはいい具合に顔の赤みが治まっている。ロッカールームで顔に塗った外用剤のベタベタをハンカチで押さえるようにして拭い、デスクへ向かう。傍目には私がアトピー性皮膚炎にかかっていることはわからないくらいに自然な肌色に落ち着いている―。

 今やルーチンと化した朝の一連の作業で、症状はまずまずコントロールできるようになった。

【突然の発症】

小学生の頃、わずかに肘と膝の裏側に湿疹ができたことがあったが、成長するにつれてそれも消え、高校、大学と至って健康で、アトピー性皮膚炎とは全く無縁であった。

社会人になってからオートバイの免許を取り、テニスや水泳、トレッキングなどのスポーツにも勤しんでいた20代半ばの頃は、かなりアクティブに(言い換えればごく普通に)当たり前の若者の生活を楽しんでいた。28歳になった頃、やけに顔がムズムズしてかゆいな、と思ったのが発症の始まりだった。掻いた後の赤みがいつまで経っても引かず、徐々にその面積が大きくなっていった。トレッキングの最中、かゆくてヒリヒリする箇所を水で濡らしたバンダナで何度も拭って、同行した友人に「おい、どうした。今日はそんなに暑くないだろう。」と不審がられたのをよく覚えている。顔の後は首、腋の下、腕と次第に体を下りて行くようにかゆみと炎症が移行し、あるとき雪崩を打ったように全身に拡がった。

「オイオイ、どうなってるんだ一体…」かゆみで夜眠れず、引っ掻いたそばから皮膚が破れて血が滲み、衣服が血痕で染まった。太腿の裏側と臀部が爛れたようになり、痛くてイスに座れない。顎の下から襟足にかけて首全体に炎症が拡がり、どんなに寒くてもマフラーを巻けない。好きだったオートバイも、頭皮と手指が傷だらけでヘルメットもグローブも着けられず、何より風にさらされるのが辛く、乗ることができない。足の甲と足首、脛が真っ赤になって膿み崩れたようになり、靴下を履くこともかなわない。床屋に行くと顔と頭皮の状態に驚かれ、理容師が明らかに当惑しているのがわかる…。仕事にも身が入らず、毎日出勤するのがとてつもなく億劫になった。友人からの誘いも適当な理由をつけて断るようになり、スポーツ全般から足が遠のいていった。それまで活発に動き回っていたのがウソのように行動できなくなり、それに比例して精神までもが萎えて下降していった。

本格的に症状が出始める少し前、付き合っていた女性とひどい別れ方をしたこともあって、「こりゃあバチが当たったんだな。あいつは一生俺を許さないということか…。」と、思考はますますネガティブな方向へ落ち込んでいった。(もちろんそれは全く根拠のない私の身勝手な思い込みであり、その意味でも相手の女性には申し訳ないことをした、と今では思っている。)

【地道に取り組む】

そんなどん底の状態から立ち直ることができたのは、正直に言うと、きっかけは特にこれといってない。強いて言えば、なってしまったものは仕方がない、なるべくひどくならないように症状を抑えながら地道にこの病と付き合っていくしかない、もし少しでも良くなることがあればそれに越したことはない、というあるがままを受け入れる姿勢がいつの間にか身に付いていた、ということである。

その頃はアトピー性皮膚炎治療に関しては様々な情報が飛び交い、標準治療と民間療法がせめぎ合っているような状況であった。全く悪気はなく民間療法を勧めてくれる知り合いもいたのだが、自分なりに書籍などで調べて、標準治療を信じてやっていこうと割り切ったのも良かったと思う。以来10数年間、忙しい仕事の合間を縫って皮膚科への通院を続け、合わないと思えば病院を替え、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら何とかここまでやってきた。ダニやホコリを取り除くための掃除やスキンケアといった基本的なことから、頭皮に薬を塗りやすくするためになるべくマメに床屋に行って短髪にすることを心掛け、必要以上に飲酒や夜更かしをしない生活習慣を意識して身に着けた。外用剤や保湿剤も体に合うものを処方してもらい、今では塗り方や塗るタイミングもこうするとよく効いてうまく炎症が治まる、というコツを掴みつつある。

顔写真.jpg

 

 

 

 

 

 

【友の会との出会い】

4年ばかり前、東京慈恵会医科大学附属第三病院皮膚科診療部長(当時)の上出先生が主催されている「アトピーカフェ」を知り、同じような立場の人たちと情報交換できる良い機会だと思い参加した。そこでは自分よりもはるかに重い症状で苦しんでおられる人たちが多くいること、アトピー性皮膚炎と一口に言っても実に様々な症例があることなどを知った。患者本人だけでなく親や配偶者の参加も多く、この病気をきちんと理解し、何とか良くなる方法を見つけたい、本人のために役に立ちたいという思いが伝わってきた。さらに情報と交流を求め、友の会にたどり着いた。

患者の立場でこそわかることがあり、親身になって励ましたり励まされたりすることもできる。有益な情報を発信することで少しでも同じような病気で悩んでいる人たちの助けになればと思い、微力ながら活動を手伝うようになった。

仕事以外でこのような場を持っていると気分転換にもなり、生活にメリハリができて良いことだ、と思っている。

【深刻にならない】

足の症状が落ち着かず、今でもピッタリした硬い生地のジーンズを履くことはできない。しかし、今はファッションの選択肢も多く、肌触りのいいものでまずまず格好の良いものは多く出回っている。首の症状は改善し、冬にマフラーを着用することもできるようになった。オートバイは残念ながら手放したが、代わりに車を運転するようになった。2輪で行ける所なら4輪でも問題なく行けるのだ。肌を締め付ける装備と全身に風を受ける環境に比べれば、車の運転はすこぶる快適である。ゆったりしたトレーニングウエアを着用して、時々ジョギングくらいはするようになった。汗をかくと思いのほか気持ちがいい。

あまり深刻にならず、「何が起こっても何とかなる」「生きてりゃそのうち何とかなる」「何もかも思い通りにはならないけど、そうそう悪いことばかり起こるわけではない」くらいの気持ちで構えていると、生きていくのもさして苦にならず、ストレスもそうたまらず、皮膚の調子も何となくいいようである。今では日々の仕事もこれで乗り切っている。周りはどう思っているかわからないが、自分では結構うまくやっているつもりである。

20代後半でもがき苦しみ、30代は病気と向き合いつつ試行錯誤を重ね、何だかんだで40代も半ばになり、曲りなりにも社会人としての経験も積み重ねてきた。これからはやりたいことをやって、なるべく人生を楽しみたいと思っているし、どうやらそうやって生きていけそうだ、という根拠のない自信(?)のようなものも芽生え始めている。

とびきり良くはないかもしれないけど、まあ悪くはないな、と思える人生を送ることができれば幸いである。

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