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アトピー性皮膚炎体験記:アトピーと生きる
ー脱ステロイドを経験してー

20代で成人型アトピーになり、その後脱ステロイドを経験された戸田さまの体験談です。(第1回)

神奈川県 戸田なつみ 37才


アトピーになった日

腕に痒みを覚えたのは二十歳の頃。
「成人型アトピーですね。」
皮膚科で言われたその一言。
大人になってからでもアトピーになることを知った時だった。

処方された薬はステロイド外用剤。
薬を塗ると痒みや掻き傷はあっという間に良くなり、魔法のようだった。
肌がきれいになると薬を塗り忘れてしまう日があり、塗らない日も増えた。
そうするとまた痒みが出てくるため、再び塗る。
そんな日々を繰り返しながら、月1度程度で皮膚科に通っていた。

皮膚科はいつも混み、2、3時間と待つことは普通だった。
その時間がだんだんと面倒になってしまい、処方箋をもらいに行くだけのことが多くなっていった。
本当は肌の症状が改善してきたらステロイドのランクを弱いものに変えていかないといけないのだが、処方箋だけもらっていた私は、ステロイドの強さも気にせずに同じランクを使い続けていた。
“痒いところに塗れば治る”
当時の私にはそんな感覚だけだった。

ステロイド治療の失敗

いつしか痒みは腕だけにおさまらず、膝の裏、首など様々な部位が痒くなり、部位によって弱いステロイド、強いステロイドを処方されるようになった。
ずぼらな私はうまく使えなくなっていた。
弱いステロイドがなくなると強いステロイドを代用して塗ってしまうなど、乱用していたのだ。

皮膚科に通い始めて8年が経っていた。
そんなある日、ついに顔が真っ赤になり、メイクができる状態ではなくなってしまった。
その時、今までの生活に初めて疑問を抱いたのだった。
腕が痒かっただけなのに、全身、顔にまで症状が現れているのは何故だろう、と。
そこでやっと、薬はアトピーを完治させるものではなく炎症を抑えてくれるものだ、ということに気付いた。
悪化していく私の体に疑問を持ってくださる先生は誰もいなかった。

そこから何も解決策を見いだせないまま、皮膚科に通い始めて10年がたっていた。
薬は毎日持ち歩くようになり、1日何度も塗らないと痛痒く、身体中を虫が這っているような感覚に襲われ、洋服の繊維がふれると鳥肌がたつほどちくちくし、じっとしていることが難しくなった。
仕事中も痛痒くて集中力が続かない。
トイレにかけこみ、ステロイドと保湿を身体中に塗りたくる毎日が続いた。

脱ステロイドのきっかけ

そんな時ふと目にしたのが、薬を全く使わないでアトピーに立ち向かう、“脱ステロイド”だった。
とにかく何でもアトピーが良くなると言われることを試していた私は、どうしてもこの脱ステロイドを試したくなった。
完全にパニックになっていた私は正常な判断をすることができず、脱ステロイドにすぐ飛びついたのだ。
ステロイドをやめる恐怖よりも、もう今日から薬をぬらなくていい、皮膚科に通わなくていい、ただそれだけが嬉しかった。
約10年間の通院・薬、治療費、10年かけて悪化した肌、どれも私にとっては相当なストレスだったことに気付いた。

壮絶な脱ステロイド地獄

ステロイドを辞めてから肌はみるみる悪化していき、ボロボロ皮がむけた。
傷だらけで背中をつけて眠ることができない。
こんなにも人は眠らないでいられるのかと思うほど痛みと痒みで眠れなかった。
浸出液が洋服に張り付き、着替えることも拷問だった。
服の繊維が傷口にあたり、歩くと擦れて痛い。
途端に大泣きし、気分のコントロールが効かなくなってしまう日もあった。
何もやる気が起きない。
廃人のようだった。

本来ならばさっさと病院へ行くべきだったのだが、頑固な私はただひたすら耐えていた。
しかし偶然にも、肌が少しずつ回復してきてしまったのだ。
おかげで、脱ステロイドでアトピーは完治するのかもしれない、と思い込んでしまった。

アトピーの再発

そんな中、私は結婚が決まった。
引っ越し、初めての二人暮らし、ちょうど同じ時期に転職もしていた。
慣れない職場環境で新しい仕事を覚えながら、家事、結婚式の準備も進んでいた。
全てが新しいことだらけだった。
そんな生活が半年ほど続いた頃、肌がポツポツと赤みを発していた。
いつの間にか背中、腕、身体中が痒く、赤くなってしまった。

結婚、引っ越し、転職。
様々なストレスでアトピーを再発してしまったのだろう。
“アトピー体質そのものは治せない”
アトピーは完治した、と自信になっていた心は打ち砕かれ、私はやはりアトピーと一生向き合わないといけないのだと痛感したのだった。

そこからは再び地獄の日々が待っていた。
全身赤みを発し、顔も体も皮膚がボロボロむけた。
その年は異様なほどの猛暑続きだったが、髪は下ろして顔を見せる面積を減らしてマスクをし、長袖を着て、真夏とは正反対の格好で出勤していた。
生き地獄だった。
もちろん暑いのだが、同時に寒気も感じていた。
猛暑日に長袖を着ているのに、足元用のヒーターをつけ、冬用のパーカーを羽織って30度超えの日中に外に出て日光を浴びることもあった。

“誰も私を見ないでほしい、話しかけないでほしい。
できるならば引きこもりたい。
消えてしまいたい。“
そんな気持ちで毎日過ごしていた。

ステロイド治療の再開

夜中に搔きむしる私の姿を見て、アトピー患者と向き合ったことのない旦那は驚きながらも無意識に掻いている私を必死で止めてくれていた。
そんな旦那を同じ様に寝不足にさせてしまっていたこと、いつまでたっても治らない皮膚の悪化に限界を感じ、やっと私はステロイド治療を再開することに決めた。

再開した、と言葉にすることは簡単だが、本当に悩んだし、ものすごく勇気のいることだった。
ステロイドを使用すると振り出しに戻ってしまう感覚と、今までの努力はなんだったのか、と悔しい気持ちもあったからだ。

今までとは違う皮膚科へ行くと、そこの先生はこれまでの話を丁寧に聞いてくださり、
「脱ステロイドをしていたのによくステロイド治療に踏み切ったね、頑張って治しましょう」
と言ってくださった。
また、10年前とは違い、治療方法も随分と確立されていた。
この先生となら信頼して向き合える、ステロイド治療を信じられる。
そう思えた。
約2年がたった今、ステロイドはほぼ使用せず、アトピーを落ち着かせて日常生活を送れるようにまでなった。

アトピーと生きる

私のアトピーの辛さは、例えば私よりも症状が重い人から比べたら、辛くないのだろうか、と悩んだことがある。
しかし、そんなことはない。
アトピーに限らず、“辛い“という感情に大きいも小さいもなく、誰かと比べるものでもなく、本人にとって辛いものは辛い。
みんな必死で闘っている。
回復を祈っている。
同じ様にアトピーに悩みステロイドに否定的になっている方がいたら、どうか信頼できる先生が見つかるまで何件でも病院を探し、標準治療でアトピーと向き合って欲しいと思う。
いつまでも良くならないな、この先生はちょっと違うな、と違和感を感じたら、別の先生を見つけて欲しいと思う。
皮膚科もたくさんある中から探し、通院することが大変なことはよく分かる。
けれど、私のように10年かけて悪化するようなことにはなってほしくない。
私の脱ステロイドの経験から標準治療に戻しアトピーを改善した経験が、同じ様に悩む方の勇気と希望に少しでもなればいいと願う。

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