幼い頃からの喘息、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーとアレルギー疾患に悩まされていたOさん。つらい思いをたくさんしてきましたが自分や家族を大切にしながら、人生を歩んでいく方法を見つけました。
(千葉県 H・Oさん / 女性 / 27才)
やっと素直に病気と向き合えるようになり自分に余裕が少しでてきました。こういう人がいてこういう考えの人もいるんだと参考になればと思います。
私は幼稚園の頃には喘息、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーを持っていました。時間はずれますが、それぞれ重症だと言われました。
喘息と私
雨の日や寒い日、走った時にたびたび発作が起きていました。夜中に病院はよくあったようです。現在は寒い日にごくたまに起こす程度になりました。
食物アレルギーと私
幼稚園のときから多くの食品(卵、牛乳、乳製品、小麦、大豆、米、肉・・・)を制限してきました。現在では食物アレルギーについて多くの情報がみんなに知られ、食品にもアレルギーを起こしやすい材料について表示されており、レストランでもどういうものが使われているか聞くと教えてくれます。私が幼稚園のときは食物アレルギーは今のように知られていなかったし、現在では健康食品として注目されている雑穀でさえそのときは「鳥のエサ」扱いです(笑)。やはり幼稚園の時は食べたくて仕方がなく、家の机の下で隠れて食べていました(親はあやしいと思っていたそうです)。残念ながら私の場合はかなり強い症状が出る(アナフィラキシーショックまたは喘息のみ、全身蕁麻疹、口の中まで腫れるなど)のですぐに痛い目に合いました。かなり苦しい思いをしたのでもう絶対に食べまいと決めました。学校はお弁当もち。現在では体調や量にもよりますが、米や豚肉や餡子が食べられるようになりました。基本は家で作った食事ですが、外食もします(飲み物、サラダ、ご飯)。こんなに食事制限があってさぞかし寂しい食事だろうと思っている人も多いと思いますが、食事は私の楽しみな時間の一つです。旅行先のホテルで私の食事を作ってもらったのですが、こんな料理も作れるんだ!と感動しました。普通食より素敵だったりする。今はアレルギー食の本もたくさんあります。盛り付け一つでもかなり違いますね。
あなたは実際に食べて症状をみないと信じてはくれないのですか?
私の悩みはこのような多くの食事制限を勝手におこなっていると思われたことです。普通は年齢とともに食べられるようになるというのが一般的であること、中には医者の食物アレルギーであるという診断ではなく親・自分の判断で食事制限をおこなっている人がいるからでしょうか。これは食べたらダメなんですという言葉は信用されず、私の了解のもとですが食べて具合が悪くなってこんなに酷い反応が出るなんてと言われるのはたまらないです。
衝撃的な事件と食物アレルギー治療の変化
そばのアレルギーの人は反応が強いそうです。小学生で食べて亡くなった方がいますが、アレルギーを持つ本人が一番症状の苦しさをわかっているのに食べたと言うのはかなり追い詰められた選択を迫られていたのだと思います。このような状況に追い詰められたときに、自分を守れるのは自分であることを忘れてはいけません。現在では成長を妨げることの方が心配であることから、食事制限は見直されています。勝手に制限せず、専門の先生に見てもらってください。
アトピー性皮膚炎と私
喘息は比較的軽いため、自分が一番悩んだのはこの病気でした。皮一枚剥いだらみんな同じ。でもこの皮一枚が随分人を悩ませます。とにかくいつも掻きむしっていました。かさぶた・粉が落ちたり、汁が出たり血がでたり。皮膚は赤くなり腫れて、象のように厚ぼったくかさぶたの部分はしこりのようになっていました。症状はあおぞらの体験談を書いている皆さんと同じです。現在はプロトピック軟膏、ステロイド、保湿でコントロールしています。保湿剤だけで過ごすことも多いです。薬は使い方が重要です。ステロイドをつけなくても、きちんと治療が行われていればリバウンドしないことがわかりました。あんなに酷くて自分がこんなに人間らしい姿?(笑)になれるとは思ってもいませんでした。皮膚は柔らかくなり、お化粧もできるようになりました。
アトピー性皮膚炎とバトル 負ける私
小学生から大学生までは学校に行けるかどうか、毎朝大変でした。戦いです。制服も着て後は出かけるだけになっても、こんな酷くては学校に行けないと、行く行かないで毎日親と口げんかをしていました。皮膚は硬く全身赤く腫れているため微熱もあり、毎日だるかったです。若いのに「疲れた・・」が口癖でした。学校は休みがちで引きこもり状態。夜は夜で明日学校に行けるようにと、掻かないように顔・体をさらしや包帯で巻いたり、ベットに手足を縛り付けたりしていました。学校にはアイスノンを持っていき、顔を冷やしたりボロボロの乾燥した肌に保湿剤を塗ったりしていました。今思うとよく学校に行ったものだと思います。
病気と私の性格
皆さんもこれを読んでわかるように何しろ毎日が病気を中心に回っていてました。酷かったし、こんな人生で生きても意味が無い、死んで楽になりたい、みんなもこういう病気ならよいと思っていました。おそらくこの病気を持っている人はどうにかして外に出ないといけないことはわかっていると思います。わかっていてもできない。小さい時から色々言われて慣れてはきても、見た目のことを言われるのは気分のいいものではありません。病気のせいでこうなったか、元々の性格なのか私は周りの目や言うことをかなり気にして他人と比較する人間でした。適切な治療のおかげで落ちついてはいましたが、この性格はそのままでした。
とことん無駄な努力をしてやっと得た答え
自分が失敗した・仕事ができない・・・ことにゴチャゴチャ言われるのはためになります。今まではこのことに関しても自分が否定された気がして嫌でしたが大人になったらしくきちんと聞けるようになりました。むしろ言われなくなるほうが怖いでしょう!このように少し大人になった私ですが、何っ!というものがやはりあります。病気のない人達でも言われるのに、アトピーの人は無意味なことを言われやすいのは仕方のないことかもしれません。言っている人は世間話として、その日の気分、意地悪、反応をみて楽しむ・・・と理由は様々です。いかに言われないようにするかとかなり努力しましたが、無駄だとやっとわかりました。言う人はなんであろうが絶対言うんですね。それに疲れました・・・今気にしていないかっと言われると完璧にそうとは言えませんが、身にしみて無駄だとわかったので以前とは全く違う気持ちで過ごせています。もっと早くわかりたかったです。言われたことで悲しんだり悩んで過ごすのはもったいない。その時間を楽しく過ごすためにまわしたい。悩む時間があるというのは実は幸せなことかもしれないです。人によってきっかけは違うし納得するのにかかる時間も違うと思いますが、悩んでいる方にはできるだけ早くわかってほしいです。自分は変わっても、周りはなかなか変わらない。失って初めてそのありがたさがわかる。幸せかは自分が決めること。同じ状況でも幸せな人にもなれるし不幸にもなれます。
病気になった理由を追い求め、それにこだわる必要はありますか?
なぜ自分がこういう病気になり何(誰という人もいる)が原因かという疑問は誰もが持ち、苦しく避けたい話かもしれません(原因は遺伝と後天的なものだと聞きました)。私は頑固で心が広いわけではないので、親は苦しんだのではと思います。何か(または誰か)のせいにすると楽ですが、原因追求は研究者に任せたほうがよさそうです。頭でわかっていても自分の人生は自分でどうにかするしかないと身にしみてわかるのに私は随分時間がかかってしまいました。これからは家族・自分の人生も大事にできそうです。