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ぜんそく体験記:小児喘息の日々を乗り越えて

小児喘息を乗り越え、今は大学生になられたH.M.様の体験記です。

神奈川県 H.M. (19歳)

『発作が起きませんように』と毎日祈っていた小学校時代

小学校1年生の時から、小児喘息を患った私は毎日のように夜に発作を起こした。息をすることに精一杯で「苦しい」と言葉にするのもできず、横になることはできず家のリビングの柱に寄りかかって必死に息をしていた。

明け方になって発作が治ると、大好きな学校にはできるだけ通っていた。しかし、学校では『いつ発作がおこるか分からない』怖さを常に感じていた。給食で刺激の強いもの(カレーライスなど)を食べた時、掃除中にホコリを吸った時、油性ペンを使った時、笑いすぎた時…喘息でない人にはなかな理解されないが、こんなことでもすぐに発作を起こしてした。地域の防災訓練の時には人工的に煙を再現した訓練で大発作を起こして、防ぎきれない発作に悔しい思いをしていた。

 

登れなかった通学路

また、私は運動をするとすぐに「ゼーゼーヒューヒュー」苦しくなる。体育の授業中、走り終わった時にはなかなか立ち上がれないことも日常茶飯事だった。しかし、人前で吸入する勇気が持てずに、保健室やトイレで一人で吸入することもあった。友達に喘息で苦しんでいる姿を見せることも、両親に心配をかけることも、なぜかひどく嫌っていた。
そして、通学路にある坂も登ると「ゼーゼーヒューヒュー」苦しくなって、家に帰る前に立ち止まってしまうことも多かった。坂をゆっくり登ったり、荷物を少なくしたりして、幼いながらに喘息と必死で戦っていた。

 

宿泊学習の夜

宿泊学習で、私が夜に大きな発作を起こした。修学旅行の夜はみんなテンションが高く、私もついつい興奮してしまい、布団の上で友達とドタバタしていた。時間が経つにつれて、「ゼーゼーヒューヒュー」と喘鳴がひどくなってきて、夜には苦しさで眠れなくなってしまった。同じ部屋の子が発作に気づいて先生を呼びにいってくれて、別の部屋で吸入をしたりして、なんとか治めることができた。みんなの前で大きな発作を起こしたのは初めてだったが、苦しい中周りの支えは大きかったことを今でも記憶している。

 

喘息キャンプに参加して

小学生だった当時の私にとって、いつもと違う環境に出ることは大きなチャレンジだった。家族がいない中で夜に発作が起きたらどうしよう、薬の管理がしっかりとできるか、など不安は尽きなかった。
そんな私にとって大きな転機となったは、『喘息キャンプ』である。市が主催している『喘息キャンプ』には、喘息を持っている小学生だけが集まって数日間共同生活を送った。そこで、私は初めて喘息の悩みを打ち明けられたり、発作が起こった時どうしているか、普段の生活で工夫していることなどを話し合うことができた。また、ピークフローの正しい使い方を身につけたり、腹式呼吸や喘息体操など、みんなで喘息予防をする経験がとても楽しかった。
このキャンプに参加する前は、自分が喘息であることを周りにできるだけ気づかれないようにしていた。しかし、喘息であることは悪いことではないし、堂々としていて良いということに気づくことができた。

 

小児喘息を経験して

大学生になった今、私は喘息をコントロールしながら学校生活を送ることができている。少し運動すると苦しくなるので激しい運動はできないが、喘息を持っている私を含めて自分のことが少しずつ好きになってきた。それは、喘息を経験したからこそ、友達と一緒に遊びにけること、好きなものが食べられること、旅行に行くことなどが全て幸せに感じることができているからである。喘息があっても、これからも沢山のことにチャレンジすることを忘れないようにして生きていきたい。

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