症状がひどいときは誰もが何で自分だけがこんなつらいめに遭うのだろうと
気持ちも落ち込みます。
適切な治療で症状が良くなり、心身ともに健康になって
笑顔を取り戻した方々の体験談をご紹介します。
さあ、病気を乗り越えてあなたも笑顔を取り戻しましょう!
『病に学び自分と向き合うことで喘息やアレルギー体質を克服』
東京都 E.I 52歳
【発症から一番ひどかった時の状態】
20代前半のある日、突然呼吸困難になり、そこから専門機関で運動誘発性喘息と診断されるまでかなりの時間を要しました。その間、喘息発作や不安からくるパニックや過呼吸、またアレルギー体質で顔や体に帯状疱疹や蕁麻疹をはじめとする様々な皮膚トラブルを発症しました。仕事のストレスも加わり押し潰されそうになる日々、体調とメンタルのアップダウンが激しく心身共に良い時期と悪い時期を繰り返していました。誰かに相談してこの気持ちを話せたら少しは楽になるのに…どこへ行って誰に相談していいのかもわからない…誰にもわかってもらえないもどかしさと苛立ちを一人で抱えていました。
発作が起きるのは必ず寝ている時でヒューヒューゼイゼイの状態になると眠りたくても横になることも出来ず、空が明るくなる頃やっと落着き少しだけ眠り起きて会社に行く状態でした。寝不足と酸欠気味で頭は重く朝から気分はブルー、駅まで少し急いだだけで呼吸が乱れるので電車の中ではハンカチで口元をずっと押さえ呼吸音をまわりの人に気付かれないように目を閉じていました。眠ると発作が起きるかもしれない…今晩は大丈夫かな…という不安が常にあり毎晩夜になり寝るのが恐くて、いっそ眠らずにすむ体なら良いのにとずっと思っていました。また、なんとなく喘息がある自分が恥ずかしいことのように思えて、家族以外には誰にも口外せずひたすら隠して過ごしていました。
【転機、考え方の変化】
吸入薬のおかげでコントロールが可能になり喘息は落ち着き、同時にアレルギーも落ち着いていましたが、30代前半に一ヶ月近く病名のわからない極度の体調不良に見舞われました(起きられないほどの倦怠感とダルさ、微熱、ヘルペス、蕁麻疹、喘息など)。点滴中に少し移動しただけで倒れるほど体力も無く、ベットの上で天井を見つめ涙が勝手に溢れ出ながら「私は何をやってるんだろう…。自分の体は自分で治そう!」と自分自身に決意表明しました。すると翌日、一ヶ月間続いていた微熱が下がりはじめ同時に気持ちも明るくなっていきました。当時の私は自己中心的で病気になったのも全てまわりのせい、自分は何ひとつ悪くない、保険料を払っているんだから病気になったら病院に行けばいい、病気のことも医者任せで言われるがままでした。しかし、自分のこれまでの考え方が間違っていた!と気付いたことが転機となり、自分で調べ直感を信じ、先ずは自然療法で食事を見直し、冷えを取り、呼吸法とヨガを学びました。何度も好転反応がありましたが、根気強く焦らず「頭は間違えても体は間違えないこと」「病気は治すのでなく、病気に学び、生活の改革と心の転回で、体だけでなく運命も健康に巡り合うこと」を知りました。呼吸法を身につけ肺を鍛え、瞑想を生活習慣に取り入れ、今あるがままの自分をそのまま自分自身と向き合えるように日々訓練してきました。最後に喘息の発作が起きたのは13年前(その前は6年前)発作中も救急車の中でも常に自分を俯瞰して意識化して見ることが出来るようになっており、心拍数も脈拍も自分で数えられるほど冷静でいられました。
一生治ることはないと言われた喘息、アレルギーも虚弱体質も自分なりの養生を続けてきたおかげでいつのまにか克服できていました。辛く苦しく大変なときもありましたが、病気になって気付けたことは本当に多く、その経験を経て今の私がいることに感謝しています。
小児喘息を乗り越え、今は大学生になられたH.M.様の体験記です。
神奈川県 H.M. (19歳)
ぜんそくのお子様がいるお母さまの体験談です。同じ立場で悩んでいらっしゃる保護者の方に向けて寄稿して下さいました。
広島県 HS
子供のころから、気管支喘息の闘病を続けてこられたS.I様の体験談です。
東京都 S.I(54歳)
子供のころから気管支喘息とアトピー性皮膚炎の双方を患い、闘病を続けてこられた佐藤様の体験談です。
佐藤一郎(東京都)
苦しいときは、あと何時間で薬が飲める、そんなことばかり考えていました。内服や点滴で、体の中にたくさんの薬を入れていると、本当に良くなるのだろうか、これからどうなってしまうのだろうと泣きそうになりました。風邪が治って咳がおさまっても、常に呼吸が苦しかったです。
このようなつらい体験をされたH.Mさんですが、今は専門医の指導のもと、薬の使い方も覚えて自己管理ができるようなり、特に夏の間は楽な時が増え、吸入薬を忘れそうになるくらい呼吸のことを気にしないことが多くなりました。仕事も以前よりペースを落として再開しました。今は海外旅行に行ける日を楽しみにしていますとのことです。
東京都(42歳)
ぜんそくをパートナーとして人生を歩くことを基本に生活をしてきたことで、現在の私があると思っています。ぜんそくとともに歩んできた私が、相手であるぜんそくとの生活の一端をみなさんへ紹介し、参考にしていただければ幸いです。
宮城県 中川 典雄(71歳)
小児ぜんそく体験記:アレルギーと生きるために
あおぞら387号(平成16年2月1日発行)でお母様が息子さんの喘息体験記を書いてくださってから約10年、小児ぜんそくで苦しんだ当時の心境を25歳になった息子さん自身が書いてくれました。
(千葉県 T・S)
持って生まれた喘息患者だった私は物心ついてから喘息でなかった私を憶えていません。それでもこうしてこの齢まで生きてこられました。ここに拙文ですが、私の喘息体験を書かせて頂きます。
神奈川県 AT(70歳)
58歳でぜんそくを発症した稲葉さん、最初は専門医にかかることができずなかなか良くなることができませんでした。友の会の紹介で家の近くの専門医に通院するようになり、安心して治療をすることができるようになりました。吸入ステロイド薬での治療をはじめ、日常生活で心がけることや薬の使い方などを講演会などで自ら勉強することで良くなっていきました。
(東京都 稲葉 吉治 さん / 64歳男性)
最初はぜんそくを甘く見ていたと振り返る菅野さん。仕事でがんばりすぎ、発作を繰り返してどんどん悪化。それでもハンドネブライザーやステロイドを飲んで仕事をを続けていました。そうするうちにぜんそくも悪化し、ステロイド糖尿病も発症してしまいました。今の主治医に出会い、ぜんそくの治療、糖尿病の治療も変えて良くなっていくまでの体験談です。
(東京都 菅野 祥 さん / 39歳女性)
振向いたときには津波が足元まできていた。ポケットにメプチンを入れて夢中で津波から逃げて命からがら助かった S・Kさん
。ぜんそくを持ちながらの避難所生活などつらい日々を寄稿してくださいました。被災の現状がひしひしと伝わってきます。病気を持つ者として日頃の備えも大切なことを伝えて下さっています。(宮城県気仙沼市 S・Kさん / 67歳女性)
救急車で運ばれて初めて気管支喘息と診断され、自宅でのネブライザーなど治療をするがなかなか良くならず、普段の生活もままならなかったR・Sさん。何とか子育てを続けてきたが、吸入ステロイドと出会ってからは、自分に自信がついてきたそうです。
(北海道 R・Sさん / 女性)
44歳で発症しなかなか薬が合わずに重症化してしまう。ステロイド経口薬を使用せざるを得なくなるが、なんとか抜け出したいと、薬の情報を得て主治医と一緒に自分に合う薬を探す。
自ら積極的に治療していこうと前向きな坂本さんが軽快するまでの道のり。
(神奈川県 坂本直美さん / 女性 / 62才)
幼少期からの喘息でよくならず重積発作を起こして意識不明に。ステロイド吸入を使うようになり軽快してきました。趣味の登山も続け、念願の徒歩での英国横断を達成するまで元気になりました。
(佐藤由弘さん / 男性 / 66才)
幼い頃からの喘息にも負けず、喘息専門医として活躍する久保先生。患者の気持ちがわかる医師として様々な活動をしてきました。自己の治療を振り返ってのメッセージも。
(和歌山県 久保裕さん / 男性)
喘息があると結婚や恋愛に不安を持つ方もいることと思います。病気を持つことの不安を乗り越えてめでたく結婚した佐藤さんからのメッセージです。奥様も喘息の佐藤さん夫妻の2人で支え合いながら生きる喜びが伝わってきます。
(東京都港区 佐藤瑞穂さん / 男性 / 35才)