症状がひどいときは誰もが何で自分だけがこんなつらいめに遭うのだろうと
気持ちも落ち込みます。
適切な治療で症状が良くなり、心身ともに健康になって
笑顔を取り戻した方々の体験談をご紹介します。
さあ、病気を乗り越えてあなたも
笑顔を取り戻しましょう!
東京都 石川 彩弥子 (50代)
「脱ステロイド」から「標準治療」への道のりと、学んだこと・日頃工夫している事をお話しさせて頂くことになりました。最後までどうぞよろしくお願いいたします。
<医療に対する諦めと不信から脱ステへ>
「この子は肌が弱いですね」、新生児検診で母は言われたそうです。幼い頃から皮膚科通いだった私は痒みで辛い事が多かったものの処方されるステロイド軟膏を毎日塗ってさえいれば何とか普通の生活を送れていました。ところが、二十歳を迎えた頃、友人に紹介された自然派化粧品のお店で「ステロイドは身体に悪い、今すぐ使用を止めて身体から毒を出し切らないとアトピーは根本的に治らない」と強く勧められた事をきっかけに「脱ステ」に踏み切りました。皮膚科では毎回同じ薬を処方されるだけで治る気配はなく、医療への不信と諦めの気持ちが積もっていたこと、また、ある民放の報道番組で「ステロイド・バッシング」が話題になっていたこともあり気持ちに拍車がかかりました。
<死の恐怖>
その結果、わずか1~2週間で皮膚症状が悪化し、頭のてっぺんから足の先までドロドロ・グチャグチャな皮膚になってしまいました。「強烈な痒み」と「かき壊した傷の痛み」 「炎症の熱」でまともに動くことも出来ません。下着や部屋着は血液と浸出液がへばりつき、それはお布団にまで染み出してシーツは剝がれ落ちた皮膚で真っ黒になる程でした。 その浸出液はとても嫌な臭いで「このまま腐って死んでしまうのではないか」という恐怖を何度も味わいました。眼を開くことも辛く眉毛やまつ毛は掻き壊してしまいありません。 髪の毛も軽く引っ張ると面白いように抜けていきました。自分の姿を見たら生きている自信が持てず、次第に生活空間の明かりを消して姿が映り込みそうな物は一切見ない様になりました。あの時の私は「感情というか心を殺して」「とにかく、呼吸をするだけで精一杯、やっと生きていた」と思います。
外出できる日もありましたが、そんな酷く辛い生活が10年近く続きました。
嬉しい事や楽しい事がある今、「生きていて本当に良かった」と思います。
<「脱ステ」に疑問を抱き始めた30代、拘りを手放し新たなステップへ>
30代に入り思いがけない出会いがありました。脱ステ治療を希望して行った漢方専門の病院で「漢方薬を飲みながら『ステロイド』や『プロトピック』を使ってみませんか?」と勧められたのです。「絶対に嫌だ!」と拒絶する私に、その病院のスタッフは「薬が怖い」という頑なな気持ちを何回も長い時間を掛けて聞いてくださいました。あの時、気持ちを受け止めてもらえた事は「大きな安心と信頼に繋がった」と思います。そのお陰で、ほんの少しお薬を使える様になりましたが、結局、コントロールは出来ず安定した生活を送ることは出来ませんでした。
そんな時でも有難いことに私を心配して声を掛けてくださる方がいたり病院で知り合った沢山のアトピー仲間の中にはサッサと治療をして社会復帰をしている人、結婚・出産をしている人、海外旅行を楽しんでいる子もいました。「彼らと私の何が違うんだろう?」30代も後半になったある時、「ふっ」と疑問が湧いてきたんです。「アトピーの症状を受け入れて楽しく生きている人達がいる。他にも世の中には様々な病気と闘い、薬を使いながら一日の命に感謝をして精一杯生きている人達が沢山いる。その薬とステロイドの何が違うの? ステロイドは本当に毒?勘違いをしているのは私かもしれない…。」そう気が付くと「もう、このままじゃいけない!人生を変えたい!」と心が動き始めました。この時やっと「脱ステへの拘(こだわ)り」を手放すことが出来たのです。
丁度その頃、幸運にも信頼している方から標準治療を勧めて頂き、友の会で常任顧問をされている江藤隆史先生を紹介していただきました。
<医師と二人三脚で取り組む治療、180度変わった日常生活>
不安と緊張で迎えた江藤隆史先生の初診日、順番を待っていると診察室から大きな笑い声が聞こえてきます。先生はとても気さくで治療についての説明や質問に対する答えも明快でした。「この先生を信じて治療をやってみよう!」と心を決めました。また、先生は「頑張らなくていいんだよ」「楽しんで」といつも励ましてくださり、信頼できるお医者様と二人三脚で治療に取り組めることは患者にとって何よりの幸せだと、その時思いました。
江藤先生のご指導通り処置をすると2~3日で痒みが治まり始め、それまで地獄の様に苦痛だったお風呂は快適で食事も取れる様になり身体も自由に動かせるようになっていきました。一言でいうと生活全般が楽になりました。
それでも、どうしてもコントロールできない強烈な発作のような症状が起こることがあり、5年前から注射剤もスタートしました。もちろん標準治療が基本です。今は季節や疲れなど多少の波はありますがお陰様で以前の様に入院しなくてはならないほどの悪化はありません。
この経験を通して、立ったり座ったり笑うなど表情を作ったり、生活の中で意識もしていない全ての動きで皮膚が伸びたり縮んだりして身体を守ってくれていることを知りました。「当たり前なんて一つもないんだっ」と思うと自分の身体が愛おしくなります。
<正しい治療・日頃から工夫していること>
標準治療という基本にのっとり、●症状にあった薬のランク●適切な量●正しい塗り方(フィンガー・ティップユニット)●スキンケア そして、医師の指導のもと治療を途中で止めない事が大切だと身を持って学びました。やはり、以前は軟膏の強さ・量が十分ではなく塗り方も悪かったのです。既に治療を始めているのに症状が落ち着かない方は、もう一度この基本を見なおしてみてはいかがでしょうか!また、日々の治療を行うのは自分なのでお医者さま任せではなく自主的な心持ちが大切だと思います。
ここで、私が実践している「より良い診察を受ける為の工夫」をご紹介します。
1 質問メモを用意しましょう
2 患部の写真を携帯で撮っておきましょう
3 患部を診て頂きやすい服装で行きましょう
4 どんなに些細なことでも遠慮せず主治医に相談しましょう
次に、「自身のトリセツ作成・パターンを知る為の記録のススメ」として、
私は一か月を見開きで見られる手帳を使っているのですが、そこに仕事やプライベートの予定の他に肌の調子が一目でわかる様にしています。ちなみに私は調子が悪い時ほど「↓」の本数を多く記入しています。その他、お通じやお天気情報(花粉・黄砂など、女性でしたら生理のリズムは重要)。これを続けていくと「自分の体調を崩しやすい時期やパターン」が少しずつ見えてきます。例えば、季節の変わり目や仕事の忙しい時、生理前後、その他にもストレスや環境の変化、様々な要因で悪化する事があるようですので、調子が悪くなりそうな時は数日前からお薬をしっかり使って整えておくのも有りです!私は以前、急な悪化で年中プチ・パニックなっていましたが、この手帳を振り返ることで「最近、忙しかったから疲れが出たのかな、処置をしてゆっくり休もう」と落ち着いて対処できる様になってきました。
<食物の摂取について、ポイントは自己観察>
また、私はアナフィラキシーを起こすような食物アレルギーはないのですが、時々、朝起きると顔が赤くなっていたりブツブツが出ている事があります。こういう時にも「昨日、何を食べたかな?」と振り返り、思い当たるものがあれば控える様に心掛けています。あと、納豆は小さいパック1つなら大丈夫だけど通常サイズを1パック食べると胸の辺りがムズムズと痒くなることがあるんです。どうやら、普段はなんでもなくても疲れて体力の落ちている時には反応する食品もある様ですので自己観察をしながら自分にとっての適切な量や内容を知っておく事は大切だと思っています。
<心境の変化>
私は劣等感の塊でアトピーの自分が大嫌いでした。そんな私を家族が支えてくれ、沢山の人達が励まし続けてくれたお陰で、肌だけでなく色んな意味で他人(ヒト)と比べなくなってきています。更に最近は「今日、何をして楽しもうかな♬」と思う様になりました。「自分に優しく」なってきたのかも?しれません。
なにより、標準治療を始めてから症状で落ち込むことがあっても治療方針で悩むことはなくなりました。
標準治療は安全な治療法です!アトピーの治療薬は今、ステロイド外用薬の他、タクロリムスやJAK阻害剤などの非ステロイド外用薬・保湿剤・内服薬(JAK阻害薬)・注射剤(生物学的製剤)などバリエーションが増えコントロールがしやすくなってきています。
<今、伝えたい思い、そして願い…>
アトピーは本来、深く思い悩み、人生・生活をなげうってまで取り組むような病ではありません。正しい治療を行えば普通の生活をエンジョイすることができます。標準治療を知らなかった人、知ってはいたけれど怖くて踏み切れなかった人も「二度と戻らない限りある時間を治療の為に費やさないで欲しい」と思います。残念ながら、過ぎた時間を取り戻すことは出来ません。私自身、悔しさがあります…。
なので、言葉にすると大袈裟になりますが、「一日も早くアトピーの症状と上手く付き合って、自分にしか生きることのできない尊い人生を後悔なく思いっきり楽しんで欲しい」と思います。これが、アトピーに翻弄された私の心からの願いです。このメッセージは、不器用でまだまだ色々とままならない事の多い私自身へのエールでもあります。
私は「私らしく輝くために」標準治療を選択しました。これからもずっと継続していく予定です。そして、アトピーで悩んでいるあなた!そして、ご家族へ…、あなたが「あなたらしく輝くために」標準治療をスタートしてみませんか!!
~あとがき~
6月より3回にわたり、とても恥ずかしいですけれど「ありのまま」をお話ししました。私の体験が少しでもアトピーで悩んでいる皆様のお役に立てれば幸いです。
そして、江藤隆史先生、「友の会」丸山理事、「あおぞら」堀内編集長、機会をいただき大変ありがとうございました。
最後になりましたが、皆様のご健康とご多幸を心より願って終わらせて頂きたいと思います。最後までお読みいただき大変ありがとうございました。
デュピクセントを2年間継続して ~当初から現在まで~
有岡 貴士(37才)
標準治療を続けてきましたが、かゆみに悩まされ続けてきました。2021月にステロイド外用薬のみの治療から生物学的製剤「デュピクセント」に変更して2年経過しました。
当初は副作用で目のかゆみや、足の紅斑がありましたが、それ以外に大きな副作用も出ず、快適に過ごしております。
【デュピクセント使用してからの変化】
ステロイド外用薬での治療の時とデュピクセントを使用してからの比較(体感)をしてみました。
【使用間隔】
デュピクセントを使い始めた当初は2週間に1本を自己注射していましたが、効果が出始めたのは約1か月後くらいからでした。
使用から1年後、主治医と協議の上で、2週間を3週間間隔に延ばして様子を見る事になりました。
その結果、大きな変化も無く副作用も出てこないので、3週間に1本を継続しています。
理想は薬なしでかゆみも無く生活できる事ですが、健康保険の補助もあるので、このくらいの出費は必要経費と割り切っています。
ちなみに間隔を1ヶ月にすると効果が切れるのか、かゆみが戻ってくるようになりました。いくら効果があるとはいえかゆみは出るので、万能薬と言う訳でもないです。
ただ、これまでのステロイド外用薬のデメリットを帳消しにするほどの効果をもたらしてくれるので、今後もデュピクセントを継続していきます。
【デュピクセントと新型コロナウイルスワクチン】
この間に、新型コロナウイルスのワクチン接種が4回ありました。問診時にデュピクセント使用を申告しましたが、ワクチンの副反応以外は問題無く過ごしています。
幸い、新型コロナウイルスにも感染せず現在に至ります。
期間中のマスク生活は特に夏場は大変でした。保湿すればマスクが汚れ、夏は汗で蒸れるのでマシになったとはいえどうしても顔がかゆくなります。
外用薬のままであればもっと苦労したんだろうなと想像がつきます。
【とはいえ、かゆみは完全になくならない】
顔の赤みがデュピクセントを使用していても出て来るので、どうしても顔がかゆい時はステロイド外用薬を使用します。全身のかゆみもやはり不定期であるのですが、それでも全然かゆくない日の方が多いので、外用薬のみの頃に比べれば断然良いです。
【精神面のメリット】
外用薬が手放せなく、出血と乾燥と汗との戦いが延々と続いていた過去と異なり、デュピクセントを使用して精神的にも負担が軽くなりました。
睡眠時のかゆみも劇的に減り、睡眠の質が改善しました。かゆみはそれだけでも不快だったので、些細な事でイライラする事も減りました。
そのおかげで性格も以前に比べて前向きになった気がします。
【生活面のメリット】
黒い服は落屑で避けていたものの、抵抗なく着ることが出来て、ボリボリ掻く時間も減ったので、見た目にも良くなりました。
それまで避けていた海やプールにも行けるようになりました。先日、潮干狩りに行ってきましたが、日焼けも海水も全然平気でした。
外用薬をFTUに従ってベトベトに塗る不快感も減り、着る服の汚れも減り、洗濯も楽になりました。
【仕事面のメリット】
ストレスはかゆみ最大の敵ですが、四六時中かゆくなるので集中力が途切れる上に、時間まで浪費します。
デュピクセントにしてからはかゆみが減ったので、仕事の効率も上がり、時間を有効に使えるようになりました。
大阪府 S.H(31歳)
*気がつけばいつも闘い*
生後間もなく、アトピー性皮膚炎と診断されたそうです。物心ついたときには常にかゆみと痛みの毎日でした。記憶の中で一番苦痛だったのは高校入学してすぐの頃、そして社会人3年目のころ。背中から首、そして一番辛い顔から、毎日吹き出る浸潤液。ガーゼを貼っては皮膚と一体化、そしてお風呂でほぐしながら剥がすということを1日3回、痛みで泣きながら繰り返す毎日でした。ステロイドへの抵抗が強かったこともあり、脱ステ治療の皮膚科で処方された、独特の匂いと色の塗り薬で寝具も服もその色と匂いに染まっていました。高校生の時は、まだ若かったことからか、波はあるものの、びっくりするくらいキレイな状態になることもありました。ただ社会人3年目の時は、出たこともない部分にまで症状が出始め、悪化しほぼ全身に。そして包帯人間の毎日。拘束具をつけて就寝しても毎朝、浸潤液まみれで体液の生臭さで目が覚め、そして着替えるにしても普通には脱げない。服のままお風呂に入り、皮膚と引っ付いた服をお湯でゆっくり剥がす。そんな朝を迎えることが怖くなった時、同時に夜眠ることも怖くなり不眠症にもなっていました。
*心もすり減る病気*
幼少期はまだ身体的に辛くても母や家族に頼れる部分に気持ちとしても安心感があり、子供の純粋さで、根本治癒するぞという気力も希望もありました。「いつかキレイになれば…!そのために今は辛抱しよう」と。
ただ、大人になるにつれて、何度も経験するリバウンドで、その度に、希望は打ち砕かれ、その度に立ち直り、また頑張って。”いつかの未来”の為にまた辛抱しよう…という日々を重ねるにつれ、「いつかっていつ?」「ほんとに来るの?」「そう思いたいだけで本当はもうこのままなのかな…」と刻々と感じる日々になっていました。何度も味わう絶望で心がすり減っていました。
テレビを見て笑うと顔がひび割れてしまう。テレビに映るキレイなお肌の女優さん…自分を鏡でみることが堪らなく嫌でした。そして窓を開けて、風が吹いても気持ちいいなんて微塵も感じることなくただひたすらに激痛…。そんな毎日は、どれだけ前向きに考えても、気力をだんだんと奪うには十分な状況でした。
終わりがいつなのかも分からない「今」が続くことが苦しく、希望も見出しにくい毎日は、生き地獄でした。
母や祖母は懸命にケアしてくれました。私の背中に薬を塗るとき、「ひどくなっていない?」と尋ねると「良くなってるよ」と言いながら、母が鼻をススる音が聞こえてくることは何度もありました。誰かのせいにできたり、家族に八つ当たりができたなら、きっと幾分、気持ちが少しは楽だったのかも知れないけど、母の鼻をススる音が頭を離れなかったのです。代われるものなら代わってあげたい…と、叶わない願いを抱えながら見守ることしかできない辛さも同時に、私は感じていました。それが頑張る理由にもなるときもあれば、負い目に感じてしまい、自分の存在自体を堪らなく心底、疎ましく思っていました。
家族がいたことは大きな支えであり感謝していましたが、正直、当時の私には「頑張れ」や「前向きに」といった類の励ましが、とても悲しい気持ちになったことを覚えています。
もちろん、そのような状態では働けず身の回り自分の世話すらままならないため、最も悪化した社会人4年目の時期はひとり暮らしの部屋をそのままにして、実家で1年近く闘病をするようになっていました。それでも、貯金を切り崩しながら、空家賃を支払い続けていたことは、私の意地でもあり最後の希望のようなものでした。
*心が「ポキッ」と折れる音*
長い悪化時期を経て、改善へと好転しはじめ、長く真っ暗だったトンネルにやっと光が見えてきた矢先、理由なく大きくリバウンドしました。はじめて心がポキッと折れる音を聞きました。もうこの生き地獄(人生)を終わらせようとまで考えました。
生を受けてからそれまでずっと、アトピーを自己治癒力での根本治癒を目指していました。それは言いかえれば、自分の身体(人生)の中からアトピーを排除するということでした。
それがいつしか人生の目的となっていました。
ステロイドを使うことへの抵抗と恐怖は、人生をかけて必死で避けてきたこともあり、自分や家族の中では「ステロイドを使うか、死ぬか」という究極の選択肢しかなかったのです。
*自分を愛するということ*
ある人の言葉で、呪いが解けました。
「アトピーであってもなくても、どんな状態でもあなたのことみんな大好き。だって笑顔が素敵だから。でも最近、笑顔を見ていない。そりゃ、辛いし心も身体も痛いから笑えんよね。今はまだ難しくても、あなたが未来で笑顔いっぱいなら、それでいいよ。
ただね、未来は今の積み重ねでしか辿り着けないものだと思うから、未来を笑顔で過ごす為には、今のあなたも笑顔じゃないと辿り着けない。だからほんの少しだけでいいから、今、一緒に笑って過ごす時間を増やそう。今のあなたが幸せと感じてもいいのだから」
アトピーである自分を嫌い、憎み疎ましく思うことは、同時に持って生まれた自分の個性をそう思うのと同じことだったのだと気づきました。
こんなのは私じゃない。私はアトピーなんかじゃない。これまでの辛抱も、本来の自分を生きるために必要なプロセスであって、私はアトピーを排除しなければ幸せになっちゃいけない…と自分で呪いをかけていた事に気づきました。
これだけ頑張ってきた自分を、なにひとつ愛せていませんでした。
気づきと同時に、「もう頑張れない。もう十分頑張った。もう自分を許してあげよう。もう頑張らなくていい。」「いつかのための毎日を終わらせて、今、幸せを心から感じよう」と思いました。
初めてアトピーの自分をありのままを認め、愛してあげられた瞬間だったかもしれません。
「今」幸せになっても良いと自分に許可を出せたことで、アトピーを自分の個性として受け入れ、共に生きていく覚悟が整いました。
そんな私は、ステロイド治療を開始しました。とてつもなく怖かったです。これまで信じてきたこと全てを否定するような悔しい気持ちや、「無駄だったのかな…」と、やり場のない気持ちもたくさんありました。
それでも、味わいたかったんです。遊園地のジェットコースターで風を感じること、お風呂に入って気持ちいいと思うこと、怖がらずに眠れること、痛みや人の目を気にせず、思いっきりくしゃくしゃになって笑うこと。
*これからの在り方*
それ以降、リバウンドしていません。お肌の状態に合わせながら仲良くお付き合いできています。とても心地よく日常を過ごせています。日常がこんなにも心地よいこと、とても幸せです。
私はステロイドを使うことを決心したのではなく、「楽しむこと」「今の幸せ」の先送りを辞めたのだと思っています。
これからも自分の物語は続いていきます。この経験をどんな物語に紡いでいけるのか、まだまだこれからです。アトピーは辛いし、生まれ変わっても二度となりたくはないけれど、この人生じゃないと得られなかった価値のあるギフトがたくさんあったこともまた事実です。そのギフトが誰かの何かとして届けられるように紡いでいくことが、私の次の物語です。
雨の日もあれば晴れの日があるように、空はいつも変わらずそこにあることを忘れずに
できることを1つでも見つけて日々を過ごしたいと思います。
その1つにもなる、この体験記、最後まで読んでいただきありがとうございました。
『脱ステを経て、「合格」を手に入れるまで』
東京都 真優 (40代)
私は小学校の頃まで、岡山県倉敷市の美観地区という長閑で美しい街で、育ちました。中学からは、念願だった大阪の学校へ入学する為、親元を離れて、大阪の祖父母の家から学校へ通いました。今では亡き祖父母なしでは、アトピー闘病記は語れません。将来の夢は「スチュワーデスになりたい!」ごくごく普通の女子中学生でした。
私がアトピーを発症したのは、1995年阪神大震災の数ヶ月後です。岡山へ帰省途中、交通機関が神戸市内は復旧しておらず、途中下車しました。幼心にも、震災の様子を目に焼き付けておこうと、街を歩きました。地元の方々は、建物倒壊の粉塵から身を守る為、特殊なマスクを装着されていました。それに対し、自身は全く無頓着であった事は鮮明に覚えております。
実家に到着した翌朝。目覚めると、顔の辺りがチクチクし違和感を感じました。恐る恐る鏡を見ると、首から上が真っ赤に腫れ、驚愕しました。しかし、まだその時は安易に考えていました。医師の診断は、神戸で大量の埃を吸ったのが原因ではないかとの事。
まだアトピーと診断はされていませんでした。まさか自分が、出口の見えない、長くて暗いトンネルの入り口に、立たされているとは、想像すらしておりませんでした。
高校時代はアトピーに左右される日々。ステロイドを塗って、それを止めると、ぶり返すの繰り返し。首から上の皮膚は厚くなり、火傷をしたように赤く、首は掻き傷で痛くて
動かすのが一苦労でした。病院も転々とし、ついに良薬に出会えます。飲むと綺麗になる魔法の薬です。みるみるうちに赤みが消え、家族は大喜びでした。その薬を徐々に減らしていくのですが、(後々ステロイド内服薬と知ります。)減らした時にリバウンドし、症状は酷くなる一方。制服のウール生地が肌に擦れると痛く、祖母に綿の裏地を縫い付けてもらいました。
また行事の日に限って悪化し、記念写真はいつも伏し目がち。周りの友人は青春を謳歌していて、自分とのギャップに気持ちが沈みがちになりました。人目も気になる年頃。
そのような時、祖母からの一喝が、「なんも卑下することない!胸を張って!顔をあげて!」当時は悲観的に捉えましたが、今ではこの言葉を深く理解できます。孫を預かるだけでも大変なのに、随分と苦労をかけました。
ある日学校で胸の内を話した時、私のただれた腕をさすって励ましてくれた友人、いつも「今どこが赤くなってる?」攻撃に答えてくれた友人、アトピーを勉強して下さった友人のお母様(大阪の人情味のあるおばちゃんでした)、周りの方には大変恵まれました。
そして修学旅行で撮ったスチュワーデスさんとの写真は、いつも治療の励みでした。
私もこのようなきめ細やかな気配りのできる女性になりたい、ついに私は当時話題になっていた、脱ステロイドに走るのです。そして根本治療を目指し、入院を決意しました。
高校3年生、受験勉強をしながらでした。入院当日病室にて、祖母が甲斐甲斐しく私の世話をしていると「自立せなアトピーは治らへんで!」と声がしました。その方が後々、私の同志となるHさん。裏表がなく、信頼できる方でした。
入院生活では、人目を気にする必要はなく、患者同士打ち解け合い、安堵できた日々でした。反面、現実に戻るのがとても怖かった。将来の夢を打ち明けた時、辛い経験を何十年と味わっている大先輩からは、心配の声が挙がりました。「スチュワーデスはアトピーには大敵の職業や。不規則な仕事で乾燥はするし、首はスカーフで隠せるけど、ストッキングは履くと痛い」と Hさん。離脱症状は意外にも軽く済み、家族は喜んでおりました。
しかし私の先行きは暗く、どこか空虚感を感じながらの退院でした。
そして大学生活が始まり、ホッとしたのも束の間、人生で最も過酷な日々が待ち受けておりました。
夏休み、症状が一気に全身に広がり、臀部と脛からの浸出液に悩まされる日々。
「おじいちゃんは戦時中、軍隊にいたから包帯が得意や。」
亜鉛華軟膏を塗り、ガーゼを当て、包帯を巻く作業は、祖父の日課となりました。恐怖だったのは起床後に包帯を剥がす時、激痛が走り、家族からは落胆のため息が漏れました。二十歳の頃、合併症と言われる白内障と、網膜裂孔を発症しました。闘病中の父を支えていた母が、「代わってあげたい」と嘆きました。先は暗く、夢、結婚、子供、全て諦めなくてはいけない不安。アトピーが憎い!何度も心の中で叫びました。
大学3年生。母は私の体を思い、地元での就職を勧めましたが、どうしても飛行機に携わる仕事をしたくて、地上職を目指します。
その為の学校見学も行き、元スチュワーデスA先生の模擬授業を拝見しました。私は先生のクラスを熱望しましたが、既に定員に達してました。偶然帰り道に先生にお会いし、残念だった事を伝えます。
その夜電話が鳴り、驚く事にA先生でした。
「私の塾生の一期生になりませんか?合格するまでみます!」
先生は既に私の肌に気付かれていたと思います。だからこそ、嬉しい出来事でした。
・アトピーを指摘された面接
A先生の元で、着々と夢への準備が始まり、数年ぶりにCA(名称も変更)募集がでました。私は地上職希望でしたが、力試しに受けるよう勧められました。
1次面接は大成功でしたが、最後に予期せぬ出来事が。面接官が、
「スカーフを取って下さい。アトピーですか?」
頭の中が真っ白でしたが、CAは笑顔、緊急時には冷静さが求められます。精一杯声を振り絞り、「はい」と答えました。終了後、私はスカーフを持ったまま放心状態でした。全受験生からの突き刺さるような視線が、私へ集中しました。
1週間後の結果は、なんと1次通過でした!!外見ではなく「私」という人間を認めて下さったのです。3次には進めませんでしたが、自信となりました。
3年生も後期に近付くと、抑えていた気持ちが溢れ、本心はCAになりたい事を、先生方にぶつけました。
「治しなさい!治して絶対CAになるのよ!」
早速、私はHさんの所へ相談に行きました。Hさんは、ステロイド治療を再開され、溌剌とされてました。治療方針を聞き、この治療を実際5年、10年続けられている方々は、現在痒み地獄から解放されたとのこと。私は最後の賭けにでました。しかし、説得しても説得しても、家族は猛反対。当時アルバイトをしていたラジオ局と病院で、治療費を全額稼ぎ、勝手にステロイド治療を再開しました。
診断は重度。医師からは薬の塗布の仕方、軽い薬に変えるタイミング等、細かい指示がありました。予想以上に早く効果がでましたが、経験上一喜一憂するのはやめ、冷静に向き合いました。結果、振り出しに戻る事なく、緩やかに土台から、健康な肌を取り戻しました。苦しんだ青春時代を、人並み楽しめなかった悔しさを、全て力に変え、勉強に勤しみました。
1年半後、私は友人達に見送られ、長年暮らした大阪を後にしました。ついに念願だった合格を手に入れ、客室乗務員訓練生として、新たな門出を迎えられたのです。無事に訓練を終え、夢のCAとして空の上で働きました。亡き祖父母は私のフライトに同行し、制服姿を見た時は、酷い頃からは想像もつかないと涙しました。最高の孝行ができた瞬間でした。
闘病から約20年後の現在、結婚もでき、子供にも恵まれました。ステロイド治療に切り替えた事が、私にとって人生の転機となりました。激しい痒みや痛みからの解放、心身共に健やかである当たり前の「今」が幸せだと感じます。私の首には、今も尚、傷跡が残っております。昨今の技術では消せるでしょうが、この傷は支えて下さった方々と私の努力の結晶です。
今苦しんでいらっしゃる方、どうか1人で抱え込まないで下さい。苦しい時は誰かに伝えて、時には人に迷惑をかけても良いのです。皆様が1日でも早く、心穏やかに過ごせます事を心より願っております。
ぼくは、人前に出るのが嫌になるほどのアトピーにずっと悩まされてきましたが、ステロイドを効果的に使ったプロアクティブ療法を試し、いまではほとんどステロイドを使わないで済む状態までになっています。
でもそれまでには、皮膚科を転々としたり、インターネットに載っている脱ステロイド療法をいくつも試したりと、いろんな経緯がありました。
神奈川県 樋原卓人 35才
子供の頃にもアトピーはありましたが軽症で、最初に明確な変化があったのは、高校2年生の頃でした。
身体の一部にしか出ていなかった炎症が全身へと拡がっていき、顔全体にまでひどく炎症するようになりました。目立つ場所に炎症が拡がったのはそのときが初めてで、写真に写るのがいやで撮影されるシチュエーションを避けてたのを覚えています。
高校時代に悪化したアトピーでしたが、卒業・就職を機に一度は改善していきます。実家を出て一人暮らしをはじめたところ、一年ほどで症状は収まり、パッと綺麗になったのです。
でも、転職を機に再びアトピーに悩むことになります。
仕事を辞め、引っ越しをしたのがきっかけでした。最終的には頭皮や耳の中、隠部や太もも、足の先までひどく炎症するようになりました。
皮膚科に行っても何も話は聞いてもらえず、ただステロイドを出されるだけ。「どうせ効かないんだけどな」と思いながらもただ診察されるばかり。そんな皮膚科には最初の一度かかったきりで、もう通わなくなってしまいました。
「医者の出す薬を使っても良くならないということは、もしかして治療法が悪いのでは?」 ―― 効果を感じられない治療への疑問が大きくなったぼくは、アトピーについてインターネットで調べるようになりました。そこで出会ったキーワードが「脱ステロイド」です。
“アトピーが治らないのはステロイド自体が悪く、ステロイドを使わずに体の中の毒素を排出すれば良くなる” ―― それは、ステロイドに疑問を持っていたぼくが飛びつくには、十分すぎる言葉でした。
独自の栄養を摂取するやり方、毒素を排出させるやり方など、調べればいくつも出てきます。「水が悪いのでは?」と思って、お風呂にビタミンCや竹炭を入れてみたこともあります。
もう脱ステロイドは無理だ。―― そう思いはじめたことをきっかけに、2つめの転機が訪れます。「ステロイドで治った人の話はないのだろうか?」と思い、情報を調べ始めることにしたのです。
脱ステロイドについて調べている中で、「インターネットを調べても脱ステロイドを勧めるブログは大量に出てくるのに、ステロイドで直した人のブログが出てこないのは不自然だ」と感じていたのです。調べてみると、ステロイド治療の推移を記事にしてくれているブログを見つけることができました。
このブログでぼくは、「プロアクティブ療法」という治療法があること、そして「プロアクティブ療法による入院治療でアトピーが治っている人がたくさんいる」という事実を知り、衝撃を受けたのです。
「こんなにキツい思いをするぐらいなら、いくら身体に悪かろうが、たとえ寿命が縮まろうが、ステロイドで抑え込んでやろう!」
そしてぼくは、自己流でプロアクティブ療法を始めることにしたのです。
再びステロイドを使い始めると、みるみる炎症が引いて行きました。もちろん、ステロイドを使えば最初はすぐに効くのはこれまでの経験で知っていたので、効果自体にそれほど驚きはなかったです。
ですが、プロアクティブ療法のやり方にしたがって最初と変わらない量を3ヶ月ほどずっと使い続けてみたところ、これまでのように炎症がぶり返してこないのです。3ヶ月目から徐々に量を減らしていきましたが、それでも炎症がぶり返してくることはありませんでした。
最終的に、治療8ヶ月目には身体へステロイドを使うことはほぼなくなりました。それ以来、ステロイドは多くて月に一度使うか使わないかというところまで改善しています。
「ステロイドをほぼ使わないで済む状態まで持っていけるのか!」
この実体験は、長年ステロイドを使った治療法に疑念を抱いてきたぼくにとって、驚きの事実でした。インターネットでは「ステロイド漬けになったら、ステロイドを使わなくなるとリバウンドするぞ!」と脅すような情報が溢れていたので、「本当にそうなったらどうしよう」と怖かったのです。
幼い頃からずっと悩まされていたアトピーが劇的に改善したのを体験して、いま感じていることが2つあります。
まず1つ目は「ステロイドはうまく使えばけして怖い薬ではない」ということ。
最初は「大量のステロイドを使うなんて!」と思ってました。でも、表面の炎症が消えたとしてもステロイドの使用量を減らさず、使い続けることで奥底に眠っている炎症を抑えることが大切なのです。
最初に多くの量を使うことで、火事で例えるなら「火消しを徹底的にすること」につながります。そうやって徹底的に消火してあげることで、また炎症がぶり返してくるのを防げるわけです。
可能であればこのプロアクティブ療法を試してみてください。全員が治るわけではないかも知れませんが、ぼくのように治る可能性は確かにあります。まだ試したことがない人は、少しでもこの方法に賭けてみてほしいです。
そして、実感していることがもう1つ。それは、「日本の医療業界は問題が山積みだな」ということです。
ぼくは、自分で調べてプロアクティブ療法を試して良くなりました。でも本来、「これは医療側から提案されるべき治療法なのでは?」と思っています。いままでかなりの数の皮膚科に通ってきましたが、子供の頃を含めてステロイドの使用量や使い方を教えてもらった記憶はほとんどありません。
最初からFTUの量を塗ることを教えてもらえれば、脱ステロイドにハマって長い期間アトピーで苦しむことはなかったかもしれません。脱ステロイドを患者が選択するのは医療側にも大きな責任があると感じます。
現在その経験を踏まえ、ぼくは2つのアトピーコミュニティに関わっていて、患者同士での対話を行っています。自分自身も色々な脱ステロイド療法を試した経験があるので、脱ステロイドを信じている方の気持ちはよくわかります。相手を否定せずにゆっくりと話を聞きながら自分の体験を伝えていくことで、何かを持ち帰ってくれる方がひとりでも増えたら良いなと思っています。
アトピーになって良かった。それでも生きて来られて良かった。
私の経験がアトピーで苦しむ人の励みになるかはわからないが、少しでも参考にしてくれたらとても嬉しい。今ではアトピーや不眠の症状も気にならなくなった。
つらい体験を乗り越え、このように思えるようになったHKさんの体験談です。
大阪府 HK(39歳)
仕事のストレスが原因で症状が全身に広がり、それでも塗り薬や飲み薬は嫌だと病院を避けてしまった結果、身も心も疲れ果てて一度は引きこもりに。
そんな巴麻口さんが日々を楽しむことができるようになり、自分なりに幸せだと思えるようになるまでに体験記です。
大阪府 巴麻口ミエ(36才)
20代で成人型アトピーになり、その後脱ステロイドを経験された戸田さまの体験談です。(第1回)
神奈川県 戸田なつみ 37才
子供のころから気管支喘息とアトピー性皮膚炎の双方を患い、闘病を続けてこられた佐藤様の体験談です。
佐藤一郎(東京都)
これまでの対処療法と異なり、伝達物質の働きを抑えてアレルギー反応自体を抑制する新薬「デュピクセント」が昨年認可されました。病院によってはすでに治療に取り入れられているこの薬について、実際に使用した感想をY.Iさんが寄稿して下さいました。
Y.I
「幼少期からのアトピーで、10歳頃から症状が広がり、いじめにもあった。大人からは、不摂生のせいだ、先祖のたたりだ等々、これは長く最近までさまざまに言われ、本当に肩身が狭かった。」
多く人に助けられながら、自らの症状と向き合ってきたY.Kさんの体験談です。
東京都 Y. K(51歳)
村上和彦 49歳
私は2歳よりぜんそく、3歳でアトピーを発症しました。さらに、花粉症、円錐角膜、緑内障、うつ病に罹患し、これまで筆舌に尽くしがたい苦しみの中で生きてきました。
現在、ありがたいことに縁あって日本アレルギー友の会を知り、医師のもとでのステロイド治療は安全で一番アトピーに効くことを知り、私の皮膚は劇的に良くなりました。まだ完治とまではいかないのですが、あの地獄の日々が夢のようです。
ここに、私の尋常ではない半生を綴っていきたいと思います。書く私もつらく、読む皆さんもつらいと思いますが、しばらくおつき合いいただきたいと思います。
三重県T.U(39歳)
脱ステロイドにより皮膚が取れるという思いをし、それでも痒くて痒くて、掻いていると痒いところが逃げていく。ぐちゃぐちゃになるまで搔き壊した後、血だらけになり自己嫌悪に陥る日々。生まれてはじめて人間やめたいと思いました。
こんな思いをしたKKさんは現在の主治医と出会い、入院治療でまさに目からうろこの治療で症状が改善。今まで使えなかった普通の人と同じ柔軟剤やシャンプーも使えるようになり、ネイルも楽しんでいます。
長野県 KK(44才)
病院に入院中に30歳の誕生日を迎えたJさん。「顔が爆発する」と思うほど顔から汁が出て、痒さと痛さからショック症状になり起き上がれないという悪化を経験しました。その後はステロイド等でコントロールすることができ、薬を使わなくてもよい状態に。そしてオーストラリア人のご主人と結婚し、ご主人が「かわいいです」と繰り返し言ってくれることで傷ついてきた心も癒されているとのこと。ひどかったアトピー性皮膚炎を乗り越えて幸せをつかんだ方の体験談は希望の光となることと思います。
JMさん(49歳)
社会人になり、突然発症したアトピー性皮膚炎にとまどうHTさん。引っ掻いたところから血が滲み、痛くていすにも座れなくなる。それまで活発に行動がしていたのがウソのように行動ができなくなり、精神も萎えていった。そんな毎日から「そのうちなんとかなる」と思い地道に治療をしていき、自分なりの良くなる方法をみつけて良くなってきました。今では仕事に趣味に活躍するHTさんです。
HTさん(44歳)
標準治療を始めてから5~6年ほど経つだろうか。アトピー性皮膚炎(以下「アトピー」と表記)がひどかった頃の自分にはできなかったことが、標準治療を始めてから、たくさんできるようになった。暑い季節には半袖・半ズボンを着て、仕事や遊びの疲れでシャワーを浴びずに寝ることや(薬をつけないで寝てしまうこともある…)、人の家に泊まることや、ジムで汗を流すこと、大浴場に行くことなど、アトピーがない人にとっては当たり前のことが、20代後半になってようやくできるようになった。これから、自分とアトピーの関係を振り返っていこうと思う。今、アトピーによって出口の見えない苦しさの中にいる方々の何かのきっかけになれることを願って。
TH(29歳)
高校生のときにアトピー性皮膚炎を発症したAさん。病院での治療を受けるも症状は治まらず、「なぜ自分だけが皆と同じように日々を楽しんだり、笑ったりしてすごせないのだろう」と悩む日々でした。アトピー・引きこもり・祖母の介護の経験をふまえ、自分はどういう性格なのか、どうしたらアトピーが悪化するのかわかってきたのです。
匿名さん(38歳)
脱ステロイドにより死の恐怖まで味わったSIさん。そこから抜け出すまでの道のりと現在の思いを書いていただきました。
SI(42歳)
小さい時から悪化と軽快を繰り返しながら、高校3年のときに急激に悪化。ステロイド外用薬を塗っても効かないという不安を乗り越え、正しい治療をすることで良くなっていきました。仕事でのストレスで悪化するときもありますが、ジョギングでリフレッシュするなど自分なりのコントロール法をみつけて、今では資格試験に挑戦するなど自分らしく生きる道をみつけたMEさんです。
M.E 37歳
私のおなかには、今、赤ちゃんがいます。くすぐったいくらいの胎動を感じています。そして、私のすぐ横では娘が遊んでいます。まだまだ意思の疎通もままならない1歳。その隣には、私たち家族のために毎日仕事をがんばってくれている大切な旦那さまがいます。世間から見れば、特別うらやましがられることもない一般的な家族。6年前の私には思い描けなかった〝家庭を築く〟という、夢のような日々を、今は過ごしています。『アノ時』が本来の私の人生であったならば、今は天国で暮らしているようなものでしょう。と、冒頭から平凡な〝幸せ〟を自慢しましたが、もしそれでもよろしければ、私が生きてきた日々を振り返りながら、皆さんに〝幸せ〟のおすそ分けができればと思います。
出し惜しみはいたしません。最初に申し上げましょう〝幸せ〟の入手方法を。それは
これが〝幸せ〟を手に入れた私の方法。拍子抜けしてしまったらすみません。それでも、振り返って考えてみても、コレ以外にはないのです。
(荻野美和子 34歳)
現在まで生きて行く中で、病気が常に付きまとっていました。今回、一人でも多くの同じ症状を抱える患者の方々のお役に立てればと思い、執筆させて頂きました。
埼玉県 TA(26歳)
改めて振り返ってみると、僕は生まれてから現在に至る24年間、アレルギーと闘い続けてきました。この年齢を迎えるまで非常に多くの困難と対峙し、やっとの思いで乗り越えてきました。
福島県 HK(24歳)
中学生のころからのアトピー性皮膚炎で、高校生の頃に悪化し、涙に暮れる日々のNWさん。周りからの励ましにもポジティプな気持ちになれず悩んでいました。
転機になったのは国際ボランティアとして行ったバングラディッシュ。恵まれた環境にある自分を発見し、感謝する心が生まれたときです。そして今は就職し、やりたいこと、行ってみたい場所、勉強したいことがたくさんあります。 と希望に満ちた体験記を書いてくれました。
山梨県 NWさん (20歳)
看護師として活躍していたYKさんですが、仕事の疲れからアトピー性皮膚炎が悪化し、もっと良くしたいという思いから、脱ステロイドを決意。黄色い浸出液が体から流れ出し、衰弱していきました。ほとんど寝たきりになるくらいに悪化してつらい毎日でしたが、ステロイド治療を再開して生きる力が湧いてきました。今は結婚し、ご主人と息子さんに囲まれ幸せに暮らしています。
(神奈川県 Y・Kさん / 34歳女性)
幼少時からのアトピー性皮膚炎に悩まされ、体質改善をしようと飲み始めた健康食品で全身が悪化。ステロイドに対する強い恐怖心から治療を避けていたが、心配した夫が買ってきた本にアトピービジネスで悪化した人のことが書いてあり、自分の症状と一致することがわかった。紅皮症と診断され大学病院に入院して標準治療をして腫れあがっていた顔の症状も軽快。今はお子さんにも恵まれ、幸せな日々を送っています。
(埼玉県 N・Nさん / 29歳女性)
T・Kさんは当会のホームページの東日本大震災の体験記募集に応募してくださいました。未曾有の震災に遭い、生き方まで見直すことになったという言葉に感銘を受けました。そして当会のことを知り、標準治療がしっかりできるようになっていたために被災後の不自由な生活の中でも症状の増悪が防げたというのはたいへん嬉しいことです。
アトピー性皮膚炎を持ちながら生きていると、さまざまな困難が待ち受けていますが、それを乗り越えていくためにどうしたら良いかを考えさせられる体験記です。
(宮城県仙台市 T・Kさん / 女性 )
幼い頃からの喘息、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーとアレルギー疾患に悩まされていたOさん。つらい思いをたくさんしてきましたが自分や家族を大切にしながら、人生を歩んでいく方法を見つけました。
(千葉県 H・Oさん / 女性 / 27才)
ステロイドの情報に迷い様々な治療をし、やっとたどりついた標準治療で良くなった荻野さん。つらかった日々からグアム島で太陽を浴びて笑顔になれるまでの体験談です。
(埼玉県 荻野美和子さん / 女性 / 31才)
幼いときからアトピーで、さらに漢方治療のためにステロイド外用薬を抜いてひどい状態になってしまったOさん。人間関係に疲れ人と会うことに恐怖を覚えるようになり引きこもりに。そこから脱出し、笑顔を取り戻していった体験談です。
(東京都 W・Oさん / 男性 / 25才)
幼少期からのアトピー性皮膚炎でも明るく活動的なIさん。皮膚科医の治療を受けながらも軽快することなくつらいままに仕事も続け出産も乗り越えてきました。やっと標準治療に出会うことができ、快適な毎日になり、さらに多方面に活躍しています。
(東京都 Y・Iさん / 女性 / 患者暦52年)
アトピーを良くしようと始めた民間療法で生きているので精いっぱいというところまでどんどん悪化してしまった山本さん。そこから立ち直って、今ではPTAの役員や仕事もがんばる元気なお母さんになりました。
(東京都 山本千鶴さん / 女性 / 38才)
アトピーのつらさに泣くことしかできなかったWさんが結婚・出産を経て素敵なお母さんになるまでの体験談です。
(東京都 Y・Wさん / 女性 / 33才)
アトピーがあると恋愛や結婚に不安を持つ方もいることと思います。アトピーがひどかったときに普通に接してくれ、良くなったときは一番喜んでくれた彼。この人ならこの先どんなことがあっても私を受け入れてくれると思い結婚に至ったとのことです。
(埼玉県 荻野美和子さん / 女性 / 31才)
「他人はそれほど君の顔を気にしてないよ。」
今から十数年前、私がアトピーでいちばんつらい時に、ある友人から言われた一言です。
いちばんひどかった時期は『アトピーが消えるか、このままか』の二者択一を毎日自問自答し、思い通りにならないことに苛立っていっそうひどくなる事を繰り返していました。
『気にしているのは自分だけ』
それに気付くと、外へ出るのがとても楽しいものになるはずです。
(東京都 Kさん / 女性 / 33才)
幼い頃からの喘息、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーとアレルギー疾患に悩まされていたOさん。つらい思いをたくさんしてきましたが自分や家族を大切にしながら、人生を歩んでいく方法を見つけました。
(千葉県 H・Oさん / 女性 / 27才)
良くなったり悪くなったりを繰り返すアトピー性皮膚炎。治療に不安を持ったり、長期間にわたる治療にモチベーションが下がったりしている方も多いと思います。
このような疑問を持つ方に、アトピー患者の先輩からのメッセージをお届けします。これをヒントに皆さんもご自身の人生を「自分らしく生きるために」どのようにしていったらよいか、考えてみていただけると良いと思います。(丸山)
荻野美和子
「5.6.7.8…let’s go!」インカム付けて、パワフルに声出してダンス!現在わたしはエアロビクスインストラクターをしています。エアロビクスは、新社会人の時やりたかった仕事で、狭き門であるフィットネスクラブの内定をもらい、いざ就職!と思った矢先、夢半ばに諦めた仕事でした。あれから13年、その夢が実り始めています。
その夢をつぶしてしまった原因こそがアトピー性皮膚炎。プロトピック軟膏もすでに発売され、確立された治療があるのにもかかわらず、”ステロイドは危険”という、地に足の着かない情報を信じ込み、漢方治療を開始しました。その後5年半もの地獄生活が待っているとは知らず…。
仕事や恋愛、おしゃれなど人生を一番満喫できるであろう20代に、わたしは人目を反らし、ただれた皮膚が見えないように、夏でも長そでを着るような日々を送る毎日。(正しいアトピーの治療を知らないだけで)精神的にもどん底に落ちたわたしは、親戚の叔母に連れて行かれるがままに皮膚科へ。そこは何も特別な治療ではなく、ステロイド外用薬を用いた標準治療でした。新たな治療を探す気力もないので医師に言われ入院。入院中は症状に合った薬を塗布する。ただこれだけ、いわばお勉強入院です。日に日にかゆみのなくなっていく皮膚。同時にステロイド恐怖へのマインドコントロールは解かれていきました。退院する8日後には、赤身の引いた皮膚に戻りました。いいえ「戻る」というのは、嘘かもしれません。傷の少ない綺麗な皮膚がわたしの体を覆っている、生まれて初めての感覚でした。
女性は肌がきれいなるだけで、とても欲張りになるものです。好きな香りのお化粧をし、アフター5は職場の人と飲み会、夜の東京は落ちているゴミでさえキラキラ輝いて見えました。そして、男性とお付き合いして数年後結婚。今はふたりの子どもに恵まれています。2歳差なので、双子を育てているようなあわただしい毎日で、すっかりどん底を生きた過去を忘れてしまっています。
アトピーが良くなってからは、結婚と子育てのほかさらに、エアロビクス講師のチャレンジ。これからもその年齢に合ったチャレンジをしていき、常に楽しい人生を送りたいと願っています。アトピーに翻弄されていた時代は、アトピーが生活の真ん中にいたように思います。アトピーでもこれはできる、アトピーだからこれはできないとか。でもそうではありません。
正しいアトピー治療の知識を持つことで、当会のスローガン「アトピーを越えて自分らしく生きる」が実現するのだと確信しています。
有岡貴士
脱ステロイドから標準治療に切り替えて9年。体験談を寄稿してから約2年。もうそんなに時間がたつのか、と思う程かなり皮膚の状態が良くなりました。今の治療では、かゆみを完全に断ち切る事が出来ないので、毎日の経験とその日の気象などを見ながら、塗る薬を決め、いかにして良い状態を維持するかに腐心しています。
標準治療を始めてから約7年は治りが悪い時期があり、軟膏を塗るのが嫌になる事もありました。特にプロトピックはステロイドよりも副作用が出やすいので「外用で使いたくない薬」でしたが、ようやくプロトピックを塗るようなったのは、塗る方法を独自に考案してからでした。それ以降は状態も良くなり、今では汗をかいてもかゆみがほぼ抑制されるまでに良くなりました。
生活の大半を過ごす仕事においては、出来る限り身体に悪影響が出ない様にしています。それでも9年も仕事をしていると、身体を壊す事もありました。頻繁に環境が変わったり、激務や徹夜もザラでした。傷がひどい時には独断で一時的にデルモベートを仕事中に塗ったり、何度も身体を壊して、全く気力をなくした時期がありました。病気と戦い、煩わしくても渋々と薬を塗る・飲む、ですので正直しんどかったですね。ではどうやってそれを乗り越えたのかというと、家族だけでなく友の会にて同じ様な病気を持つ友人や知り合いと悩みを共有出来たのも一因だと思います。
土曜に仕事がない時は、友の会にて主にIT技術支援などをしています。その他では、講演会チラシの制作をこれまで4回、展示用パネルを1回制作しました。毎回何を描こうか悩みますが、確実に自分の作品が世の中に出るので、良い勉強になります。
職場の方も、何だかんだ言っても上司と相談の上で、配転など対応をしてもらい、今では良い仕事に巡りあえた事、ある程度人にも恵まれて、継続して勤められているので、それなりに良かったと思っています。
やる気が回復してきてからは、自分は何をしたいのか自問し続けました。社会人サークルに参加したり、友人と情報交換をしながら、昨年秋から始まった交流サービスを見つけて「これだ!」と思い、参加するようになりました。そこで同人ゲームの開発に参加したり、懇親会等で新しい出会いが増えました。最近では講演会のチラシや運営の経験を活かし、開発した同人ゲームの宣伝用チラシを作ったり、交流会の幹事もしています。今までの経験に無駄はないと改めて思いました。これからも充実した生活が送れるようにしたいと思います。
治療は人生の最終目標ではない、通過点である。最後にこの記事を読んで頂き、少しでもお役に立てば幸いです。
大橋由紀
私は十代の後半から二十代前半くらいにかけてアトピーの症状が酷く、特に顔面から首にかけてが真っ赤になり浸出液も止まらず、自暴自棄かつ暗い思春期を過ごしてきました。
現在は三十代半ばですが、見た目には殆どアトピーとわからず、生活に支障が出ない程度に回復しています。ここまで回復できたのは、昔に比べてプロトピックなどいい薬が出てきた事もありまずが、根本から治そうと躍起にならなかったのがよかったのだと思います。漢方にも通った事がありますが、通院中に先生が病死してしまい、先生が自分の病気も治せないで死んでしまうのでは漢方の効果はいかがなものかと疑いを持ってしまい、元々無精者だった事もあってそれ以来保険適用外の漢方には行ってません。
結局、自分が無理をしないでできる治療が一番効果的なのだと思います。普通の皮膚科に行って薬を貰って塗る。一生医者に通い続けなければいけないのかと憂鬱になるかもしれませんが、医者に行って薬を貰って塗ったら普通の生活ができるのなら、根本治療など難しい事を頑張るよりこっちの方が気楽です。
症状が落ち着いた事もあり、近年は比較的アクティブに活動しています。野外フェスに行ったりライブに行ったり、時々ですが仕事終わりに友人と食事やカフェに行ったりしています。
先日は初めて立ち呑み屋に行きました。立ち呑み屋は狭いのですが値段も安く、活気がありました。通常立ち呑みはさくっと呑んで早めに店を出るのがオツなのでしょうが、その日私と友人は三時間近く店にいました。通勤電車の小一時間でさえ立っているのが辛いというのに、この長さは正気の沙汰とは思えません。きっと店の活気に呑まれて時間を忘れてしまったのでしょう。友人と話をしている間、ふと我に返ると自分も社会の風景の中の一員になれている気がして幸福でした。昔、症状の酷い頃だったら、狭いお店の中で知らない人の傍に三時間近くいるというのは苦行だったでしょう。しかし今は症状がかなり良くなりましたし、そもそも誰も人の顔なんて見ていない事を知りました。それでももしも何かを言われたら、倍返しにしてやろうという気概も生まれました(笑)
これからも地味にですが、色々な場所に行って幸福を味わおうと思います。
田口裕之
「ふう、たまんねえなぁ、この痒み。」
夜、仕事から帰ってくると、誰も見ていないのをいいことに、遠慮なく全身を掻きむしり、「あーあ、またやっちゃった。」と後悔しつつ、床に散らばった鱗屑(りんせつ)(はがれ落ちた皮膚のくず)をホウキとちりとりで片付けたあと、徐ろにお風呂に入りながら「うー、今日もしみるねぇ」…
28歳のとき、突然アトピー性皮膚炎を発症して以来、もう15年以上も同じような生活を続けています。これまでに症状が出た所は、頭皮、顔、首、腕、手、指、お尻、太腿、膝、脛、足首、足の指と体中のあらゆる部位に及んでいます。数年前からは目と耳の中にまで出てきました。
最初は痒みと痛みに呻き、出血に驚き、およそ人間の皮膚とは思えないほど真っ赤に変色した肌を目の当たりにして、「一体俺の体はどうなっちまうんだ?」と落ち込んだ時もありました。しかし、人生割り切ることが肝要です。
アトピーは完治するような病気ではなく、症状を抑えながらいかに上手くつき合っていくかがポイントです。私の場合、前述のように痒いときはガマンせずに掻いて、後でしっかり薬を塗ってコントロールするというやり方で乗り切っています。お風呂のあと、保湿剤を全身に塗り、症状のひどい所は強めのステロイド、軽い所は弱めのステロイド、顔はプロトピックと使い分け、これで朝になるとけっこう治まっています。なるべく早く家を出てラッシュに揉まれないようにし、仕事も集中して取り組めば、意外と痒みも忘れることができます。(上司に面倒な仕事を言い渡されたときは無意識に腕を掻いていますが…)集中力を切らさないようにしてなるべく時間内に仕事を片付け、早く退勤すればそれだけストレスも軽くできます。
ステロイドの副作用で赤い糸ミミズのような毛細血管が皮膚に浮き出てきたこともありましたが、最近では消えつつあります。細胞が日々入れ替わっている証拠です。
治らぬ病を抱えた悲劇のヒーローになるのではなく、正しいスキンケアと薬の使い方を覚え、日々役に立ちそうな情報を手に入れて自分なりの健康を維持するようにしていけば、何ということはないのです。
というわけで、今日もホウキとちりとりを手に掃き掃除に勤しみながら、けっこう楽しくやっています。